2010年06月04日
ありがとうございました
本日17名の出席ありがとうございましたm(_ _)m
ちゃんぽん、皿うどんという個人的には非常に微妙なところでしたが、まさかこんなに集まるとは思いませんでした。
今日もお話ししたように、在京応援団塾は人脈、組織としては存続しています。折角できたコミュニティですから残す努力をします。
坂本さん辺りが面白いねたをもっていそうですが、他の方もがんがん提案していただければ、いくらでも手助けしますよ。
ただ飲みたいだけかもしれませんが....
ちゃんぽん、皿うどんという個人的には非常に微妙なところでしたが、まさかこんなに集まるとは思いませんでした。
今日もお話ししたように、在京応援団塾は人脈、組織としては存続しています。折角できたコミュニティですから残す努力をします。
坂本さん辺りが面白いねたをもっていそうですが、他の方もがんがん提案していただければ、いくらでも手助けしますよ。
ただ飲みたいだけかもしれませんが....
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23:33
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2010年05月31日
近況報告・・・佐世保に行ってきました
ふかのこうへいです。
今月半ばに、佐世保に行ってきました。
佐世保の青年会議所の皆さんや、昔ながらの知人と、大いに佐世保を楽しんできました。
佐世保バーガーもいただきました。今回は「ビッグマン」の自家製ベーコン入りハンバーガーです。普通のハンバーガーのはずなのに、何故か美味しいですね。
在京長崎応援団塾の中でもブランドの議論がありましたが、この佐世保バーガーは、長崎県にあって近年ブランド化にもっとも上手に対応したブランドではないでしょうか。都内にも佐世保バーガーの店舗はちらほらと目立つようになって来ましたよね。
長崎のブランド化戦略では、第2、第3の佐世保バーガーが登場してくれることを願うばかりです。
では、6月4日にお目にかかりましょう!楽しみにしております。
今月半ばに、佐世保に行ってきました。
佐世保の青年会議所の皆さんや、昔ながらの知人と、大いに佐世保を楽しんできました。
佐世保バーガーもいただきました。今回は「ビッグマン」の自家製ベーコン入りハンバーガーです。普通のハンバーガーのはずなのに、何故か美味しいですね。
在京長崎応援団塾の中でもブランドの議論がありましたが、この佐世保バーガーは、長崎県にあって近年ブランド化にもっとも上手に対応したブランドではないでしょうか。都内にも佐世保バーガーの店舗はちらほらと目立つようになって来ましたよね。
長崎のブランド化戦略では、第2、第3の佐世保バーガーが登場してくれることを願うばかりです。
では、6月4日にお目にかかりましょう!楽しみにしております。
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10:33
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2010年05月16日
在京応援団塾OB会開催の提案
メールでもお知らせいたしましたが、在京応援団塾OB会開催の提案をさせて頂きます。
日時 5月31日~6月4日(いまのところ、4日夜かなあ)の平日 19時~を予定
場所 渋谷の「長崎飯店」を予定
http://r.gnavi.co.jp/a024402/
お店との交渉、はこれからです。参加者希望の方、5月20日位までにご返事お願いいたします。
また日時、予算、メニューなど御希望があればお教えください。
現在都合が合えば参加の方が10人、残念ながら都合がつかず、不参加の連絡3人となっています。
まだ連絡頂いて無い方、20日までに連絡頂ければ幸いです。
日時 5月31日~6月4日(いまのところ、4日夜かなあ)の平日 19時~を予定
場所 渋谷の「長崎飯店」を予定
http://r.gnavi.co.jp/a024402/
お店との交渉、はこれからです。参加者希望の方、5月20日位までにご返事お願いいたします。
また日時、予算、メニューなど御希望があればお教えください。
現在都合が合えば参加の方が10人、残念ながら都合がつかず、不参加の連絡3人となっています。
まだ連絡頂いて無い方、20日までに連絡頂ければ幸いです。
Posted by 在京長崎応援団塾 at
12:02
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2010年03月19日
長崎伝習所まつり in ベルナード観光通り
長崎伝習所まつり in ベルナード観光通り
3月20日(土曜)11:00-16:00
オープニング前にもパラパラdenden動画をステージで上映!!
↓↓PDFはこちらをCLICK↓↓
11:00~ オープニング
1.開式宣言……伝習所まつり実行委員長 槙山塾長
2.主催者挨拶……総長 田上市長
3.来賓紹介(運営委員)
4.発見!ながさき遺産塾 「ながさき遺産認定式」(総長より認定証を授与)
《開式宣言・認定証授与の際、長崎洋館音楽舞踏塾関係者による生演奏》
11:20~ 各塾からのPRタイム
1.「エコ名人を探せ!」塾
2.川さるく「森・川・里・海」塾
3.龍馬伝と幕末人物塾
4.発見!実現!体験楽習塾
5.発見!ながさき遺産塾
6.在京長崎応援団塾
7.長崎洋館音楽舞踏塾
8~12.伝統工芸塾
(長崎銀細工研究塾、長崎陶芸復興塾、長崎刺繍再発見塾、長崎の染塾、長崎やけんステンドグラス塾)
15:40~ クロージング
1.伝習所まつり総括……運営委員会 佐藤座長
2.来年度塾長紹介
3.閉式宣言……伝習所まつり実行委員会 副委員長 兵働塾長
3月20日(土曜)11:00-16:00
オープニング前にもパラパラdenden動画をステージで上映!!
↓↓PDFはこちらをCLICK↓↓
11:00~ オープニング
1.開式宣言……伝習所まつり実行委員長 槙山塾長
2.主催者挨拶……総長 田上市長
3.来賓紹介(運営委員)
4.発見!ながさき遺産塾 「ながさき遺産認定式」(総長より認定証を授与)
《開式宣言・認定証授与の際、長崎洋館音楽舞踏塾関係者による生演奏》
11:20~ 各塾からのPRタイム
1.「エコ名人を探せ!」塾
2.川さるく「森・川・里・海」塾
3.龍馬伝と幕末人物塾
4.発見!実現!体験楽習塾
5.発見!ながさき遺産塾
6.在京長崎応援団塾
7.長崎洋館音楽舞踏塾
8~12.伝統工芸塾
(長崎銀細工研究塾、長崎陶芸復興塾、長崎刺繍再発見塾、長崎の染塾、長崎やけんステンドグラス塾)
15:40~ クロージング
1.伝習所まつり総括……運営委員会 佐藤座長
2.来年度塾長紹介
3.閉式宣言……伝習所まつり実行委員会 副委員長 兵働塾長
2010年02月12日
研究成果報告書・前書き部分
ふかのこうへいです。
研究成果報告書の前書き部分の最新版を掲載します。皆さんからのコメントがなければ、これを最終版にしたいと思います。
■ 塾長コメント ■
長崎市東京事務所の方から、長崎伝習所塾を東京でもやってみたい、とのお話を頂いたのは昨年初だった。東京のような広い町で定期的に人を集めて、しかもまとまった成果を出すような活動はできるのだろうか。迷った時期もあった。ただ、やってみなければ何も始まらない!との思いで、手を挙げた。
それから一年余り。塾の活動は、船頭たる塾長の不手際からダッチロールを繰り返しながらも、ゴールにたどり着いた。その原動力は、何といっても在京長崎応援団という塾名そのままの、「長崎のために」と集まった塾生の皆さんの熱い思いだ。むしろ、塾生に背中を押されて、ゴールに辿りついた感が強い。
また、東京での長崎伝習所塾開催という初めての試みであったが故に、関係者の皆さんに様々な我侭をきいていただき、また、成果についても水準を求めず、まずは完走すればよい、との気楽な気持ちで取り組ませていただいたので、今があると感謝している。
■ 塾の目的 ■
この塾の目的は2つある。一つは、東京近辺に住む長崎フリークが何らかの形で長崎のため何かをすること。もう一つは、東京近辺に住む長崎フリークのネットワークを形あるものにすることだ。
一つ目の課題については、長崎市内で活動している塾のように、テーマを一つに絞って全員で取り組む、という考え方もあった。しかし、ここは東京だ。自宅も離れているし、全員が定期的に一同に会することを求めるのは難しい。であれば、一番成果をまとめやすいやり方を考える必要がある。場合によっては一人でも活動できるように、各自が思い思いのテーマを選択しそれをレポート等の形で纏め上げられれば良いのではないか。ということで、各自が興味あるテーマを選択し、それをレポートのような形に取りまとめ、成果物はそのレポート集とすることとした。
もう一つの課題は、ヒトの基盤作りだ。とはいっても、既にこの塾に手を挙げてきた時点で、「長崎に対する思い」というバーをクリアしている塾生ばかりなので、そうした個々の思いを有機的に連携させられるような、しかも長続きするようなインフラを整備しようと目指した。
■ 塾の研究・活動内容 ■
東京では、一箇所に集合するだけでも、集合するための移動時間・コストがかかる、勤務後となると会議開始時刻が遅くなる、等の問題を避けられない。現に、この塾の定期会合は一ヶ月に1回程度しか開催されておらず、また、会議室の都合で1回の開催時間が1時間強に制限されていた。このため、日常の情報伝達・意見交換はインターネットやメールの活用を基本とした。同時に、定期会合の限られた時間は、個々の研究についての意見交換よりも、特に重要な作業スケジュールや段取りの説明など、ロジスティックな内容が中心となった。ただし、そうした内容だけだと定期会合は乾燥したものになる。このため、定期会合の後には、必ず有志で居酒屋に繰り出し、ここぞとばかり、潤いのある話をした。
一方、研究活動は各テーマごとの担当者が自由に価格立案・遂行した。塾からは、期限と分量を伝えるだけである。各テーマの担当者は、ネットを通じて他のテーマの担当者に参加を呼びかけたりもした。逆に、担当外のテーマに関して意見を伝える塾生も出てきた。無秩序な運営を善意と好意が助け、塾活動は前進していった。
また、定期会合のうち一度は、壱岐の老舗旅館で修行をしている塾生のプロデュースで、とある店を借り切って壱岐料理のパーティを開催した。壱岐から旅館の女将も参加され、その時は参加者が膨れ上がった。この塾の塾生は、とりわけ美味しいものに目がない。
■ 塾活動の成果 ■
塾生の熱い思いを形にしたレポート集は、とりあえず完成した。素材が歪まないように、塾として塾生の活動や主張をコントロールすることは避けたため、レポート集はご覧になれば一目瞭然だが、荒削りな料理を一緒に皿に盛り付けたようなものである。個々の料理全体に通じるコンセプトのようなものはなく、共通点は「オレは、私は、長崎のために何かしたかった」という叫びだけだ。結局、塾生たちで選んだテーマは13に上った。ふるさと納税やブランド力、人材育成など、比較的堅めのテーマから、観光、映像、そして蝶々夫人や今流行の坂本龍馬、自らの長崎単身生活を綴った柔らかいテーマまで種々雑多だ。
考えてみれば、長崎の卓袱料理も、その時々の贅を無秩序に一皿に盛り合わせたものである。この塾の成果に似ている。「和」「華」「蘭」という響きも含め・・・?。そして、料理人たる塾生たちは胸を張る。この熱い思いで作り上げた料理を、熱いうちに召し上がれ!と。
なお、こうした経緯で作成された冊子であるため、掲載されている文章の記載や意見・主張の責は全て作成者たる塾生に帰すものであり、伝習所塾を取りまとめている長崎市とは無関係だ。
一方、東京での長崎フリークネットワークの構築は、オンラインとオフラインの二本立てとした。前述の通りメールで様々な情報交換もしたし、ある塾生の好意により、在京長崎応援団塾のサイトも立ち上げた。サイトの活用実績は未だ十分とはいえないかもしれないが、単なる事務連絡にとどまらず、長崎への帰省時の話題を提供したり、分科活動の簡単なレポートを掲載したり、徐々に稼働率が高まっている。このサイトが、東京近郊在住の長崎フリークの「溜まり場」に成長していってくれたら素晴らしい。
一方、face to faceのオフラインの活動は、定期会合の後の居酒屋ツアーが代表的だ。しかし、長崎まで行って料亭で検番さんと楽しいひと時を過ごしたり、長崎出身の大将がいる居酒屋に集まったり、岩崎邸を見学したり、様々な分科会が派生的に発生した。まさに活きている、そして繁殖している塾活動だな、と感じた次第だ。この塾の塾生は、どうやらオンラインの繋がりより、オフラインの接触を嗜好するようだ。
とにもかくにも、在京長崎応援団塾の1年が終わった。ただ、仮に塾が終焉したとしても、塾生にとっては、このつながりがスタートしたことに他ならない。来年の今頃も塾生の誰かが居酒屋で集っていそうな気がする。
以上
研究成果報告書の前書き部分の最新版を掲載します。皆さんからのコメントがなければ、これを最終版にしたいと思います。
■ 塾長コメント ■
長崎市東京事務所の方から、長崎伝習所塾を東京でもやってみたい、とのお話を頂いたのは昨年初だった。東京のような広い町で定期的に人を集めて、しかもまとまった成果を出すような活動はできるのだろうか。迷った時期もあった。ただ、やってみなければ何も始まらない!との思いで、手を挙げた。
それから一年余り。塾の活動は、船頭たる塾長の不手際からダッチロールを繰り返しながらも、ゴールにたどり着いた。その原動力は、何といっても在京長崎応援団という塾名そのままの、「長崎のために」と集まった塾生の皆さんの熱い思いだ。むしろ、塾生に背中を押されて、ゴールに辿りついた感が強い。
また、東京での長崎伝習所塾開催という初めての試みであったが故に、関係者の皆さんに様々な我侭をきいていただき、また、成果についても水準を求めず、まずは完走すればよい、との気楽な気持ちで取り組ませていただいたので、今があると感謝している。
■ 塾の目的 ■
この塾の目的は2つある。一つは、東京近辺に住む長崎フリークが何らかの形で長崎のため何かをすること。もう一つは、東京近辺に住む長崎フリークのネットワークを形あるものにすることだ。
一つ目の課題については、長崎市内で活動している塾のように、テーマを一つに絞って全員で取り組む、という考え方もあった。しかし、ここは東京だ。自宅も離れているし、全員が定期的に一同に会することを求めるのは難しい。であれば、一番成果をまとめやすいやり方を考える必要がある。場合によっては一人でも活動できるように、各自が思い思いのテーマを選択しそれをレポート等の形で纏め上げられれば良いのではないか。ということで、各自が興味あるテーマを選択し、それをレポートのような形に取りまとめ、成果物はそのレポート集とすることとした。
もう一つの課題は、ヒトの基盤作りだ。とはいっても、既にこの塾に手を挙げてきた時点で、「長崎に対する思い」というバーをクリアしている塾生ばかりなので、そうした個々の思いを有機的に連携させられるような、しかも長続きするようなインフラを整備しようと目指した。
■ 塾の研究・活動内容 ■
東京では、一箇所に集合するだけでも、集合するための移動時間・コストがかかる、勤務後となると会議開始時刻が遅くなる、等の問題を避けられない。現に、この塾の定期会合は一ヶ月に1回程度しか開催されておらず、また、会議室の都合で1回の開催時間が1時間強に制限されていた。このため、日常の情報伝達・意見交換はインターネットやメールの活用を基本とした。同時に、定期会合の限られた時間は、個々の研究についての意見交換よりも、特に重要な作業スケジュールや段取りの説明など、ロジスティックな内容が中心となった。ただし、そうした内容だけだと定期会合は乾燥したものになる。このため、定期会合の後には、必ず有志で居酒屋に繰り出し、ここぞとばかり、潤いのある話をした。
一方、研究活動は各テーマごとの担当者が自由に価格立案・遂行した。塾からは、期限と分量を伝えるだけである。各テーマの担当者は、ネットを通じて他のテーマの担当者に参加を呼びかけたりもした。逆に、担当外のテーマに関して意見を伝える塾生も出てきた。無秩序な運営を善意と好意が助け、塾活動は前進していった。
また、定期会合のうち一度は、壱岐の老舗旅館で修行をしている塾生のプロデュースで、とある店を借り切って壱岐料理のパーティを開催した。壱岐から旅館の女将も参加され、その時は参加者が膨れ上がった。この塾の塾生は、とりわけ美味しいものに目がない。
■ 塾活動の成果 ■
塾生の熱い思いを形にしたレポート集は、とりあえず完成した。素材が歪まないように、塾として塾生の活動や主張をコントロールすることは避けたため、レポート集はご覧になれば一目瞭然だが、荒削りな料理を一緒に皿に盛り付けたようなものである。個々の料理全体に通じるコンセプトのようなものはなく、共通点は「オレは、私は、長崎のために何かしたかった」という叫びだけだ。結局、塾生たちで選んだテーマは13に上った。ふるさと納税やブランド力、人材育成など、比較的堅めのテーマから、観光、映像、そして蝶々夫人や今流行の坂本龍馬、自らの長崎単身生活を綴った柔らかいテーマまで種々雑多だ。
考えてみれば、長崎の卓袱料理も、その時々の贅を無秩序に一皿に盛り合わせたものである。この塾の成果に似ている。「和」「華」「蘭」という響きも含め・・・?。そして、料理人たる塾生たちは胸を張る。この熱い思いで作り上げた料理を、熱いうちに召し上がれ!と。
なお、こうした経緯で作成された冊子であるため、掲載されている文章の記載や意見・主張の責は全て作成者たる塾生に帰すものであり、伝習所塾を取りまとめている長崎市とは無関係だ。
一方、東京での長崎フリークネットワークの構築は、オンラインとオフラインの二本立てとした。前述の通りメールで様々な情報交換もしたし、ある塾生の好意により、在京長崎応援団塾のサイトも立ち上げた。サイトの活用実績は未だ十分とはいえないかもしれないが、単なる事務連絡にとどまらず、長崎への帰省時の話題を提供したり、分科活動の簡単なレポートを掲載したり、徐々に稼働率が高まっている。このサイトが、東京近郊在住の長崎フリークの「溜まり場」に成長していってくれたら素晴らしい。
一方、face to faceのオフラインの活動は、定期会合の後の居酒屋ツアーが代表的だ。しかし、長崎まで行って料亭で検番さんと楽しいひと時を過ごしたり、長崎出身の大将がいる居酒屋に集まったり、岩崎邸を見学したり、様々な分科会が派生的に発生した。まさに活きている、そして繁殖している塾活動だな、と感じた次第だ。この塾の塾生は、どうやらオンラインの繋がりより、オフラインの接触を嗜好するようだ。
とにもかくにも、在京長崎応援団塾の1年が終わった。ただ、仮に塾が終焉したとしても、塾生にとっては、このつながりがスタートしたことに他ならない。来年の今頃も塾生の誰かが居酒屋で集っていそうな気がする。
以上
Posted by 在京長崎応援団塾 at
08:57
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2010年02月12日
研究成果報告書・各論および感想部分
ふかのこうへいです。
皆様から寄せられた研究成果報告書のサマリーと感想の最新版を以下に掲載します。
皆様、これで間違えないかご確認下さい。
1.長崎への質問
宮崎 陽世
和華蘭町といわれていますが、長崎県内で育った人でも簡単には理解できないのが長崎の町。そんな町を東京から見ていると、尚一層不思議な町に思える。最初は長崎を知らない自分に気付くことから始まった。であれば、知っている方に聞いてみようということで、4名が、長崎への質問グループを形成した。
前半は4名での長崎の不思議についての議論とアンケート調査結果、さらに応援団塾のメンバーからいただいた情報を合わせて、長崎人の特性らしきものを抽出した。
後半は、その根底にあるものを探るために、長崎の歴史、特に鎖国の前後に焦点を当て、学習した。出てきた疑問を明らかにし、さらに長崎を実感するために、現地にも赴き、取材した。歴史上の文化や制度の中で、長崎人の価値観形成に最も影響を与えたと思われるものを特定し、さらに詳しく、学習した。
最後に今後の長崎に求められる行動特性と期待される人材像を明らかにした。
今回は既存のネット上や書籍などの情報にできるだけ頼らず、自分たちが行動し、実際に見聞きした情報と感じたことにこだわった。情報が不足しているところ、分析が不十分なところも多い。その分稚拙になっている所も散見される。
福田さんはFAXによるアンケートで、九州男児と長崎男児を違いを明らかにした。
川辺さんはアンケートと合わせて、長崎で体験したことをディスカッションで明確に主張し、長崎人の行動特性として明らかにした。
橋本さんはディスカッションをまとめ、文章を校正し、今後の長崎の可能性対して提言した。
2.外から見る長崎
東京と長崎の違いから見える「長崎らしさ」とは
田尾 正行
長崎の高校を卒業し、東京の大学に進学してから30数年。今ではなんの疑問もなく普通に生活しているが、上京したての頃は、長崎との違いに戸惑ったものだ。「何ね?このうどん、真っ黒やかね。こがんと食べられんばい。」いまだに食べない。(笑)
ある時、「かぶり」という習慣がネット上で話題となった。長崎では当たり前だが、こちらでは「持ち帰り」以外の「言葉」がない。「そんな食べ残しを持ち帰るなんて」というのが常識のようだ。しかし長崎には「かぶり」という言葉が存在し、宴会の後、残ったものは「かぶり」にするのが常識である。当然のことだが、習慣、文化、言葉等、東京と長崎では様々な事象が違う。「何故違うのか」その違いを考えることで、長崎に居ては気づかない、長崎らしさを見つけられないだろうかというのが、今回のテーマである。
江戸時代、唯一海外との窓口となっていた長崎、幕府直轄という特殊な地域で外国人と接していたということから、他の日本人とは違う何かがあったのではないだろうか。
身分の上下、席の上下に厳しかった江戸時代に、何故卓袱料理は円卓だったのか。お墓で宴会をし花火を鳴らす、東京人からすると「罰あたり」(笑)な習慣は何故なのか。
長崎では当たり前でも、他所から見れば不思議な事柄。その「長崎らしさ」には「共通性」があるのではないか。またそれが、長崎をアピールする材料となるのではないかと考えてみた。
3.小説から読む幕末の長崎像
齋藤 和彦
歌に映画にテレビドラマにと、長崎ほどメディアに紹介される観光都市は他に例がなく、遠い異国のエキゾチックな港町としてのイメージが伝えられてきた。中でも、文学においては、純文学から娯楽小説、随想まで、視覚にとらわれない無限の想像の世界を読者にあたえ続けている。近年の、さだまさしの作品や、長崎を舞台にしたなかにし礼の“長崎ぶらぶら節”、遠藤周作の“沈黙“、”女の一生“などによって、長崎への憧憬をもった多くの読者が、そのまま旅人となって長崎を訪れている。
今回のレポートをまとめるにあたり、最初に考えたのは、はたして純文学が史実に基づいたもので、娯楽小説が作者の想像によるフィクションばかりか、などという議論はともかく、今の時代にどれだけの影響力を、その作品が与えているかということであった。当初は様々な作品を比較対象とする方法をとろうと模索したが、単純に発行部数の多さから、文庫書き下ろしでベストセラー作家となっている、佐伯泰英の“交代寄合伊那衆異聞”をレポートの題材とすることにした。
物語のあらすじは、信州伊那にわずかな所領を与えられた直参旗本ながら、徳川幕府との密約を持つ座光寺家当主となった若き主人公、座光寺藤之助為清が、信州伊那から江戸そして長崎、上海へと、安政の大地震(1855 年)直後の幕末を舞台に、自らの人生と時代を切り開いていくというものだ。物語を読むうちに、さながら、主人公と共にその時代に旅をしているような錯覚に陥るほど引き込まれて行く。主人公と登場人物を通して語られる当時の長崎像を拾い出し、そんな中から現代に通じる長崎像、長崎人気質を感じていただければと思っている。
シリーズは現在第11 巻まで発刊され、現在更に継続中。長崎が主な舞台となるのは、第3 巻から第9巻あたり。講談社刊、佐伯泰英 著 文庫書下ろし “交代寄合伊那衆異聞“シリーズ。
4.長崎に単身赴任してみて~長崎雑感
川村 雅昭
2004年2月から2006年3月まで約2年間、銀行の転勤で長崎に単身赴任した。東京生まれ東京育ち、働き始めてからは、首都圏以外では大阪、仙台での勤務はあったが、九州は初めて。単身赴任も初めてだった。
子供たちは当時中学生2人と小学生1人。毎年大きくなって、ウサギ小屋のようなマンションが手狭に感じ始めた頃だったので、家族は自分の居場所が広くなると喜んだものだ。一方の自分も、頭取が聞いたら怒ると思うが、観光地での長期滞在型リゾート気分で赴任した。そして長崎での2年間は本当に楽しかった。
赴任早々の春休みに家族を呼んで、ハウステンボスに遊びに行き、「くんち」はカミサンと諏訪神社の桟敷で見物、2度目の正月は家族と長崎で迎えた。
こう書くと、本当に遊んでばかりで仕事をしてなかったと思われてしまうかもしれないが、仕事も遊びも楽しくやったと言うのが本心だ。もちろん仕事帰りには美味しい魚で、一杯(いっぱい)やったが。
そんな生活の中で、長崎の方には当たり前、あるいは意識していないかなと思われたことを少しだけ記してみたい。
5.「御鰭(おひれ)をどうぞ・・」
薫り立つ 長崎料亭文化
上野 史禮
10年前、長崎で初めての「料亭での宴」「御鰭をどうぞ」料亭の女将(おかっつあま)のこの言葉から、この「宴」が始まる。乾杯も挨拶もないままに、客である私たちは、戸惑いながらも椀のお吸いもの「御鰭」を静かに頂く。座敷の誰も語らず、粛々と、客の「椀」を啜る音だけが響く。何とも奇妙でありながら、長崎の歴史の薫りにあふれる「宴」の始まりである。
転勤してきた長崎で、初めての「料亭の宴」実に印象深いものだった。長崎の街になじんで行くうちに、丸山界隈を中心に、ここそこに「料亭」が脈々と生き、そこに「花街の文化」が息づいていることに気づく。この料亭と芸子衆が織りなす「長崎料亭文化」に接する折折、「うれしい異空間」の素晴らしさを、感じないではいられなかった。
外国文化の日本唯一の窓口として、異文化が花開き、それゆえもあって、裕福な街として繁栄してきた長崎。そういった歴史あったればこそ、この「長崎料亭文化」が生まれた。 より多くの人に、この素晴らしさを知ってほしい、体験して欲しい、長崎から、この「すばらしい文化」をたくさん発信して欲しい、との思いから、レポートに取り組んだ。
平成20年12月。久々に、東京から長崎に飛び、「料亭春海」で、芸子衆と一緒に「遊食」を楽しだ。久々の「料亭文化」に接した。ゆったりとした「長崎時間」が、夜の帳とともに進んでいった。「卓袱料理」「長崎ぶらぶら節」「浜節」「手あそび」・・・ あっという間の3時間余りが、過ぎていった。悠揚とした満足のまま、料亭の石畳を下った。
6.ふるさと納税で長崎を応援する!
船越 弘文
生まれて以来ずっと長崎市に住んでいると、「ふるさと」という言葉に反応することは稀かと思うが、高校を卒業して以降、長崎市を離れて生活をしている者からすると、長崎市は「ふるさと」以外の何物でもない。加えて、年齢もそこそこになってくると、この「ふるさと」という言葉は何とも言えない郷愁を感じさる。そんな親父達の心を揺さぶる制度が、「ふるさと納税」である。
私は、「在京応援団塾」に参加するにあたり、自慢ではないが、この研究テーマは格好のテーマだと考えた。「ふるさと納税で長崎を応援する!」なんて、最高の名称だと思いませんか?
思いは良し、さらに、保科さんという地方自治のプロも一緒に研究して頂けるという幸運を得てスタートを切ったが、実際に研究を始めると、色々な苦労に遭遇した。 その一部は原稿の中にも紹介しているが、やってみて発見することの連続であった。
そういう苦難の末に完成した原稿なので、出来栄えの評価は読者の皆様の判断にお任せしたい。しかし、この塾の面白さは研究の結果を得ることだけではない。活動を進めるなかで、保科さんを始めとする塾生の皆さんや、長崎市役所の方々、アンケート先自治体の関係の方々など、多くの方々のお世話になった。社会人になると、仕事以外でこうした人と人との新たで緊密な繋がりを持てる機会は殆どない。一年間の活動を振り返ってみて、こうした機会を持てたことこそ、この塾の醍醐味であったと実感している。この冊子を通じて、こうした醍醐味が少しでも皆さんと共有できれば幸いである。
7.長崎ブランドの現状と提言
石橋 佳之夫
長崎には、全国的にアピールできる商品やサービスがあるはずであるが、ブランドの活かし方が下手な地域である、といった指摘があったため、長崎ブランドの現状を把握し、その上で何か提言できればいいなと考えてスタートした。
スタートして直ぐにわかったことは、なるほど長崎には全国に誇れるような産品がありながら、県外の産地にOEMのような形で供給されている事実があることであった。
地域団体商標の登録件数も他の都道府県と比較すると少ない。
誇りを持って長崎ブランドを全国に広めてほしいといいたい。
われわれ長崎ブランド塾の活動は、当初インターネットを利用した、登録商標の調査、地域団体商標を出願している団体の活動に関する調査などが中心であった。
これに加えて、日常生活の場でもアンテナを張り、遭遇する情報の中に長崎ブランドにつながるものがあればそれを取り上げ、事業の実態、そのブランド保護に対する意識のレベル、商標登録の有無などの実態を把握し、その結果に基づき、長崎ブランドをより活性化するための提言をまとめた。
調査した結果と提言は、在京長崎応援団塾のブログに掲載した。
今後も継続して長崎ブランドに関する検討の機会があるとすれば、ブログを中心に多くの人たちを巻き込んだ議論、あるいは8人程度のメンバーによるブレイン・ストーミングで、効果的な提言をまとめるようにしては、と考えている。
8.人と組織の力をアップするには
吉居 浩二
長崎にゆかりがある関東在住者として、ビジネスであれスポーツの世界であれ、長崎の方達やチームが活躍するのを見聞きすることは、大いに勇気付けられる。
今度は私たちで何か長崎の方たちを応援出来ることがないかということで、表題をテーマとしてレポートをつくった。
内容は、三部構成とした。第一部は、人や組織の力を高める仕組みを俯瞰するため、高める要因を整理しつつ体系図としてまとめた。更に、その中で重要な要因に対して解説を加えた。
第二部は、テーマに合致すると判断した図書を紹介した。図書には、長崎県人倶楽部の機関誌も入れ、その中で紹介されていた春の選抜高校野球で長崎初の優勝に導いた清峰高校野球部の吉田監督の言葉も紹介した。
第三部は、現在東京在住だが、かって長崎にある企業等の組織でリーダーとしてご活躍された方の座談会を設定し、長崎の方たちの気質を踏まえ、力をアップするための提言をまとめた。
本テーマは永遠のテーマであり、簡単に語りつくせるものではないが、力をアップするために過去からのセオリーを知り、第三部にまとめたように、現状を照らしてみることで、新たな行動が見えてくると思う。
僭越なレポートになったが、テーマが長崎在住の方たちに役立ち、且つ関東との、情報交換の機会になれば幸いである。
最後に、関東の伝習塾で、本テーマで自由に活動させて頂いたことを、長崎を思うメンバー4名を代表して感謝したい。
9.映像を活かした長崎の魅力発信
関根 留理子
地形、風土そして歴史とどれをとっても、唯一無二の魅力ある街・長崎。昔から、そんな長崎を舞台にした映画やドラマがたくさん撮影されているが、それをあまり活かしきれていない。ここ数年では、映画やドラマを誘致して、地域の観光や産業へつなげようと活動する地域も多い中、長崎ではあまりこのような取り組みを見受けられない。どうやって活用していくべきなのか、検証してみた。
事実、長崎という街は、とても恵まれている。同じ人口45万ほどの他都市と比べても、知名度は飛びぬけて高い。そのため、撮影に来る映像制作者は後を絶たない。他都市がロケ誘致に力を入れる中で、黙っていてもロケが来るとてもありがたい地区だ。
しかし、撮影が多いが故、撮影される作品を観光に活かしていく準備ができず、映画の公開やドラマの放送を迎えてしまう。
昨今、長崎市ではNHKの大河ドラマ「龍馬伝」で盛り上がっているように、映像と観光をつなげるためには、大々的に取り組み、地域を上げて盛り上げることが必要で、作品がヒットしてから取り掛かるのでは遅い。しかし、そのためには予算や人の確保も必要であり、全ての作品に対応するのも難しい。
まずは出来ることからと考えた時、長崎には、全国が注目し、マネをしている素晴らしい観光ツールがあることに気がつく。いまやその言葉さえ、全国的に使われるようになった「さるく観光」。
長崎らしい、人のコミュニケーションで成り立つさるくの映像版が、まずは長崎市のフィルムツーリズムの一歩になるのではないだろうか。
10.オペラ“蝶々夫人”を長崎の観光の目玉にし、長崎の活性化を図る
山口 義人
長崎が舞台の世界的に有名なプッチーニのオペラ「蝶々夫人」の毎週上演を長崎観光の目玉とし、世界各地から観光客を呼び寄せようというプロジェクトである。
これには、専門のオペラ劇場を作ろう、というアイデアも入っている。
有力な実例として、能登半島の七尾市は、人口6万弱の小都市ながら、総工費27億円で650席の立派な「能登演劇堂」を作り、仲代達也主演のシェークスピアの「マクベス」を、まさに年50回、上演し、日本各地からバスで観客を集め、町起しの目玉としている。http://www.engekido.com/sisetsu.html
同様な、オペラハウスを長崎は持つ資格がある。
幸い、沢山の歴史、文化を背景に持った、美しい港町長崎は、世界遺産候補、長崎のキリスト教教会群もあり、東洋でのキリスト教巡礼地になれるし、これに、オペラ“蝶々夫人”の観劇という目玉が加われば、まさに長崎は東洋一の観光地となると思う。
現在イタリアで大活躍中の、岡村喬生氏の脚本を、長崎版 “蝶々夫人”の定番とし、出演者はボランティア的要素で長崎在住者を中心に、大学、中高の音楽教師、学生から募集、格安でオペラ蝶々夫人を上演する。年間50回開催の、上演費約1億7.500万円を、平均入場者700-800人、入場料4500円で集め、広告費収入と合わせ、収支合い償う事業とする。現在年50隻入港している、観光船船客中心に観客動員を図り、年間上演予定を組む。
11.坂本龍馬について
坂本 貞好
2010年のNHK大河ドラマは長崎にも深い縁がある三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」の視線を通して描かれた「龍馬伝」。主演は長崎出身の福山雅治さん。
坂本龍馬については、昭和43年(1968)にも司馬遼太郎原作の「竜馬がゆく」がNHK大河ドラマで放送されていますが、視聴率は低迷し歴代大河ドラマではビリから2番目の14.5%であった。
2008年に「龍馬伝」の放送が決定し、主演の龍馬役に福山さんが抜擢されたこともあり、長崎では観光客誘致の企画が目白押しで既に大きな盛り上がりを見せていますが、我々メンバー3名は、龍馬ファンということではなく、「龍馬伝」放送を機会に龍馬関連の場所を訪ねたり、情報を収集し龍馬についての知識を深めて、一年間「龍馬伝」を楽しもうということがテーマにした大きな動機である。
訪ねた場所や関連行事への参加レポート等を自由に気楽にブログへ掲載するなど「龍馬伝」を通して長崎への関心を持ってもらい、結果的に長崎への観光客の増加に繋がることを期待しつつ活動してきた。
メンバーは、勤務先及び住居が東京、相模原、1名は長崎と東京を行き来しているということで3名揃っての行動は困難なため、「在京長崎応援団塾」の全体会合やメールなどで情報を交換しながら活動してきた。
「龍馬伝」の長崎時代の放送は、7月頃からということなので、引き続き「龍馬」を追いかけ“「龍馬伝」と長崎を盛り上げよう!”に繋げていきたいと思っている。
12.東京にあった?長崎の兄弟!
深野 浩平
われわれ4人は、東京の中にある長崎の「ゆかり」を探し出してガイドすることを目的に活動を行った。まずは、東京都豊島区に「長崎」という地名があるので、九州の長崎との関連がありや?なしや?の調査から。
参考文献をあたるばかりでなく、東京の「長崎神社」の秋の大祭を見学したり、東京の長崎にある長崎出身の大将がやっている居酒屋に集ったり・・・。調査というより遊びである。その結果、残念ながら、東京の長崎と九州の長崎の関連を証拠付ける歴史的なDNAは発見できなかった。しかし一方で、長崎大水害の際の心温まるエピソードや、東西の長崎で十数年前から今もなお続いている「寄席」の交流など、同じ名前であるが故の繋がりは発見できた。
さらに視野を東京全体に広げると、長崎の「ゆかり」が其処此処に散らばっていることがわかった。都内の博物館に収容されている数多くの文化財。幕末に長崎に登場した偉人の足跡。キリシタン弾圧の舞台となった場所。原爆という悲しい歴史を2度と繰り返さないためのモニュメントなど。そんな東京にある長崎の「ゆかり」を集めて、写真と一筆書きで紹介もしてみた。なお、東京で評判のちゃんぽん屋とか、長崎の食材を使った料理屋など、他にも興味ある「ゆかり」はたくさんあるのだが、全てを紹介できなかったのは残念であった。東京にそれほど多くの「ゆかり」があるとは、さすが長崎!である。
長崎出身・東京在住の方が故郷を思い起こすのに、また、これから長崎に旅行する方、転居する方が事前の予習をするのに、この拙稿が少しでも役に立てれば幸甚である。
13.東京発!長崎市観光誘致を考える!
宮嶋 淳一
長崎市への観光客は、平成18年の570万人をピークに下降気味である。長崎市周辺には多くの観光資源がありながらも、実際には活用されてない、上手にPRできてはいないのではないか。また、他県の観光都市はどのような集客をしているのか。われわれは在京長崎応援塾らしく、関東周辺からいかに長崎市に訪問客を増加させるかという点に絞ることとした。
県庁所在地で観光地として有名な北陸・金沢市が人気急上昇しているのを知るにつけても、長崎市への集客のための処方箋が必要ではないかということを考えた。
処方箋は主に5つを考え、チームの3人でそれぞれ担当を決めて掘り下げようとした。しかし、実際には他の観光都市に行って、観光視察をしたり、東京にあるアンテナショップをまわったりはできずに、インターネットや、本、パンフレットなどの資料を基に考えることに留まった。
5つの処方箋は、「(官製ではない)長崎市のホームページの新設」、「長崎市の東京でのアンテナショップの開設」、「新たに(東京における)長崎市のパンフレットの作成」、「長崎市訪問のための新メニュー、新規イベントの開発」、「長崎市から食の提案」などである。いずれも実際に実施するとなれば人・金がかかるので、今回は提言ということでまとめることとしたい。
東京から見た魅力的な長崎とは何か?今年はNHKで長崎出身の福山雅治さん主演の「龍馬伝」が放送され、長崎市への注目度がアップし長崎市を知ってもらう、長崎市に来てもらうには最高のタイミングである。
(感想)勘違いで入塾
福田 裕子
私が在京長崎応援団塾に応募したのは勘違いからだった。
母校(高校)のホームページを見ていて、先輩後輩で長崎を応援するということなんだ。それは楽しそうだなと思った。事情が分ったのは後のことで、その時は後のまつりだった(後のまつりというのは正しくないかも知れない)。
グループに分かれ、長崎にまつわるテーマを決め、調査・検討しまとめ上げて、長崎にもどすという。
中学、高校の時のみ住んだ長崎。何も分ってないことが分った。そこで「長崎への質問」というテーマに参加したのだけれど、あまり協力できずに終わり、申し訳ない思いをしている。
塾生の方は長崎に並々ならぬ愛着と色々な実力を持っておられる方ばかりなので、ついていくのにしんどい気持ちになったことも少しはあるが、自分のできる範囲で参加させていただいた。
改めて長崎の歴史に思いを馳せると、江戸、明治期の日本での重要な役割を果たした地であるということ、昭和期の原爆被災地であるということだ。この先、日本でさらに世界でどのような意味のある街として進んでいくのか注目していたい。
最後に、人はひとつの共通点があれば大いにつながることが分かる。会の後の飲み会で、長崎の話で盛り上がること!
他の県や市はどんな応援網を広げているのだろうか、と気になってきた。
(感想)在京長崎応援団塾に参加して
三浦 剛
「長崎伝習所なるものが東京で行われるらしい」という噂を耳にし、「長崎出身者としては話を聞いておかねば」と説明会に参加した。集まったメンバーの共通項は「長崎が好き」という1点のみで世代・出身地・経歴・参加目的ともにばらばら。説明を聞いても何をやるのか今一つ良くわからなかったが、「何か面白そう」と参加させてもらうことにした。
東京という街は意外に広く、また参加者も多忙な人が多く集まること自体が大変だったが、月に1度くらいの頻度で集まる中でだんだん会の方向性とチームワークが生まれてきた。(私も初期は殆ど参加できず申し訳ありませんでした。)
私は「長崎を応援するWG」に参加したが、まずは仕事の繋がりや利害関係が全くない人達とのフリーディスカッションや共同で進める作業・活動がとても新鮮だった。また、長崎以外の出身で長崎に住んだ経験がある人の「長崎の好きなところ」、長崎の歴史研究をしておられる方の「歴史観」などで目からウロコの新発見があり、長年不思議に思っていた長崎の特徴の理由を発見できたりした。
郷里「長崎」が時代の変化に対応し、今後もその素晴らしさを失わず、維持して欲しいと願っているが、日本という国の形自体が大きく変わりつつある中で、長崎ファン(サポーター?)を増やしていくという事も長崎にとって必要なのかもしれないとも思う。今後も在京長崎応援団が継続し、長崎ファンが着実に増えていくことを期待したい。
末尾となりましたが、お世話いただいた長崎市東京事務所の皆さま、深野塾長様、その他参加者の皆さまに心より感謝申し上げます。
(感想)在京長崎応援団塾に参加して
八児 正紀
高校3年間だけ長崎で寮生活をしていたが、大学進学で上京してしまったため、そもそもが「よそもん」の私は、長崎を満喫したとは言い難く、その心残りがずっとあった。
そういうところに「じげもん」の同級生から塾への誘いがあり、勇気を出して応募した。
未曾有の大不況の中、この東京で「長崎を愛し、応援したい」という物好き(?)な塾生が集えたことは素晴らしいご縁だった。
入塾当初は、塾生それぞれの背景が様々なので、ある程度の統制がないと纏めていくのは難しいのではと心配した時期もあったが、制限を設けないことに徹底された深野塾長の方針は大正解だったと思う。塾長のおっしゃるように、それぞれが熱く自己主張する、和・華・蘭の「卓袱料理」が、この東京で、とりあえず、できた。味はワカランが・・・。
居酒屋を中心とした(笑)活動の中で色々な意見交換をすることで、塾生それぞれの長崎への想い、愛し方、感じ方、楽しみ方の違いを知ることができ、貴重な財産となった。
次年度以降どうなるかわからないが、東京で出来上がる「卓袱料理」を、作るほうも食べるほうも、お互いのこだわりを理解しながら、大勢の仲間で楽しめるといいなと思う。
現在私は、長崎への恩返しと継続的な係わりを求めて、長崎を応援するブログポータルサイト「のらんば長崎」の運営を行っている。
今年度は塾のポータルサイトを作成し、各グループの活動報告をブログで発信し、能動的に相互交流する試みを支援させて戴いた。
在京長崎応援団塾の活動によって、長崎を愛し応援するネットワークが、WEBを通じて全国・世界に拡がれば幸いである。
以上
皆様から寄せられた研究成果報告書のサマリーと感想の最新版を以下に掲載します。
皆様、これで間違えないかご確認下さい。
1.長崎への質問
宮崎 陽世
和華蘭町といわれていますが、長崎県内で育った人でも簡単には理解できないのが長崎の町。そんな町を東京から見ていると、尚一層不思議な町に思える。最初は長崎を知らない自分に気付くことから始まった。であれば、知っている方に聞いてみようということで、4名が、長崎への質問グループを形成した。
前半は4名での長崎の不思議についての議論とアンケート調査結果、さらに応援団塾のメンバーからいただいた情報を合わせて、長崎人の特性らしきものを抽出した。
後半は、その根底にあるものを探るために、長崎の歴史、特に鎖国の前後に焦点を当て、学習した。出てきた疑問を明らかにし、さらに長崎を実感するために、現地にも赴き、取材した。歴史上の文化や制度の中で、長崎人の価値観形成に最も影響を与えたと思われるものを特定し、さらに詳しく、学習した。
最後に今後の長崎に求められる行動特性と期待される人材像を明らかにした。
今回は既存のネット上や書籍などの情報にできるだけ頼らず、自分たちが行動し、実際に見聞きした情報と感じたことにこだわった。情報が不足しているところ、分析が不十分なところも多い。その分稚拙になっている所も散見される。
福田さんはFAXによるアンケートで、九州男児と長崎男児を違いを明らかにした。
川辺さんはアンケートと合わせて、長崎で体験したことをディスカッションで明確に主張し、長崎人の行動特性として明らかにした。
橋本さんはディスカッションをまとめ、文章を校正し、今後の長崎の可能性対して提言した。
2.外から見る長崎
東京と長崎の違いから見える「長崎らしさ」とは
田尾 正行
長崎の高校を卒業し、東京の大学に進学してから30数年。今ではなんの疑問もなく普通に生活しているが、上京したての頃は、長崎との違いに戸惑ったものだ。「何ね?このうどん、真っ黒やかね。こがんと食べられんばい。」いまだに食べない。(笑)
ある時、「かぶり」という習慣がネット上で話題となった。長崎では当たり前だが、こちらでは「持ち帰り」以外の「言葉」がない。「そんな食べ残しを持ち帰るなんて」というのが常識のようだ。しかし長崎には「かぶり」という言葉が存在し、宴会の後、残ったものは「かぶり」にするのが常識である。当然のことだが、習慣、文化、言葉等、東京と長崎では様々な事象が違う。「何故違うのか」その違いを考えることで、長崎に居ては気づかない、長崎らしさを見つけられないだろうかというのが、今回のテーマである。
江戸時代、唯一海外との窓口となっていた長崎、幕府直轄という特殊な地域で外国人と接していたということから、他の日本人とは違う何かがあったのではないだろうか。
身分の上下、席の上下に厳しかった江戸時代に、何故卓袱料理は円卓だったのか。お墓で宴会をし花火を鳴らす、東京人からすると「罰あたり」(笑)な習慣は何故なのか。
長崎では当たり前でも、他所から見れば不思議な事柄。その「長崎らしさ」には「共通性」があるのではないか。またそれが、長崎をアピールする材料となるのではないかと考えてみた。
3.小説から読む幕末の長崎像
齋藤 和彦
歌に映画にテレビドラマにと、長崎ほどメディアに紹介される観光都市は他に例がなく、遠い異国のエキゾチックな港町としてのイメージが伝えられてきた。中でも、文学においては、純文学から娯楽小説、随想まで、視覚にとらわれない無限の想像の世界を読者にあたえ続けている。近年の、さだまさしの作品や、長崎を舞台にしたなかにし礼の“長崎ぶらぶら節”、遠藤周作の“沈黙“、”女の一生“などによって、長崎への憧憬をもった多くの読者が、そのまま旅人となって長崎を訪れている。
今回のレポートをまとめるにあたり、最初に考えたのは、はたして純文学が史実に基づいたもので、娯楽小説が作者の想像によるフィクションばかりか、などという議論はともかく、今の時代にどれだけの影響力を、その作品が与えているかということであった。当初は様々な作品を比較対象とする方法をとろうと模索したが、単純に発行部数の多さから、文庫書き下ろしでベストセラー作家となっている、佐伯泰英の“交代寄合伊那衆異聞”をレポートの題材とすることにした。
物語のあらすじは、信州伊那にわずかな所領を与えられた直参旗本ながら、徳川幕府との密約を持つ座光寺家当主となった若き主人公、座光寺藤之助為清が、信州伊那から江戸そして長崎、上海へと、安政の大地震(1855 年)直後の幕末を舞台に、自らの人生と時代を切り開いていくというものだ。物語を読むうちに、さながら、主人公と共にその時代に旅をしているような錯覚に陥るほど引き込まれて行く。主人公と登場人物を通して語られる当時の長崎像を拾い出し、そんな中から現代に通じる長崎像、長崎人気質を感じていただければと思っている。
シリーズは現在第11 巻まで発刊され、現在更に継続中。長崎が主な舞台となるのは、第3 巻から第9巻あたり。講談社刊、佐伯泰英 著 文庫書下ろし “交代寄合伊那衆異聞“シリーズ。
4.長崎に単身赴任してみて~長崎雑感
川村 雅昭
2004年2月から2006年3月まで約2年間、銀行の転勤で長崎に単身赴任した。東京生まれ東京育ち、働き始めてからは、首都圏以外では大阪、仙台での勤務はあったが、九州は初めて。単身赴任も初めてだった。
子供たちは当時中学生2人と小学生1人。毎年大きくなって、ウサギ小屋のようなマンションが手狭に感じ始めた頃だったので、家族は自分の居場所が広くなると喜んだものだ。一方の自分も、頭取が聞いたら怒ると思うが、観光地での長期滞在型リゾート気分で赴任した。そして長崎での2年間は本当に楽しかった。
赴任早々の春休みに家族を呼んで、ハウステンボスに遊びに行き、「くんち」はカミサンと諏訪神社の桟敷で見物、2度目の正月は家族と長崎で迎えた。
こう書くと、本当に遊んでばかりで仕事をしてなかったと思われてしまうかもしれないが、仕事も遊びも楽しくやったと言うのが本心だ。もちろん仕事帰りには美味しい魚で、一杯(いっぱい)やったが。
そんな生活の中で、長崎の方には当たり前、あるいは意識していないかなと思われたことを少しだけ記してみたい。
5.「御鰭(おひれ)をどうぞ・・」
薫り立つ 長崎料亭文化
上野 史禮
10年前、長崎で初めての「料亭での宴」「御鰭をどうぞ」料亭の女将(おかっつあま)のこの言葉から、この「宴」が始まる。乾杯も挨拶もないままに、客である私たちは、戸惑いながらも椀のお吸いもの「御鰭」を静かに頂く。座敷の誰も語らず、粛々と、客の「椀」を啜る音だけが響く。何とも奇妙でありながら、長崎の歴史の薫りにあふれる「宴」の始まりである。
転勤してきた長崎で、初めての「料亭の宴」実に印象深いものだった。長崎の街になじんで行くうちに、丸山界隈を中心に、ここそこに「料亭」が脈々と生き、そこに「花街の文化」が息づいていることに気づく。この料亭と芸子衆が織りなす「長崎料亭文化」に接する折折、「うれしい異空間」の素晴らしさを、感じないではいられなかった。
外国文化の日本唯一の窓口として、異文化が花開き、それゆえもあって、裕福な街として繁栄してきた長崎。そういった歴史あったればこそ、この「長崎料亭文化」が生まれた。 より多くの人に、この素晴らしさを知ってほしい、体験して欲しい、長崎から、この「すばらしい文化」をたくさん発信して欲しい、との思いから、レポートに取り組んだ。
平成20年12月。久々に、東京から長崎に飛び、「料亭春海」で、芸子衆と一緒に「遊食」を楽しだ。久々の「料亭文化」に接した。ゆったりとした「長崎時間」が、夜の帳とともに進んでいった。「卓袱料理」「長崎ぶらぶら節」「浜節」「手あそび」・・・ あっという間の3時間余りが、過ぎていった。悠揚とした満足のまま、料亭の石畳を下った。
6.ふるさと納税で長崎を応援する!
船越 弘文
生まれて以来ずっと長崎市に住んでいると、「ふるさと」という言葉に反応することは稀かと思うが、高校を卒業して以降、長崎市を離れて生活をしている者からすると、長崎市は「ふるさと」以外の何物でもない。加えて、年齢もそこそこになってくると、この「ふるさと」という言葉は何とも言えない郷愁を感じさる。そんな親父達の心を揺さぶる制度が、「ふるさと納税」である。
私は、「在京応援団塾」に参加するにあたり、自慢ではないが、この研究テーマは格好のテーマだと考えた。「ふるさと納税で長崎を応援する!」なんて、最高の名称だと思いませんか?
思いは良し、さらに、保科さんという地方自治のプロも一緒に研究して頂けるという幸運を得てスタートを切ったが、実際に研究を始めると、色々な苦労に遭遇した。 その一部は原稿の中にも紹介しているが、やってみて発見することの連続であった。
そういう苦難の末に完成した原稿なので、出来栄えの評価は読者の皆様の判断にお任せしたい。しかし、この塾の面白さは研究の結果を得ることだけではない。活動を進めるなかで、保科さんを始めとする塾生の皆さんや、長崎市役所の方々、アンケート先自治体の関係の方々など、多くの方々のお世話になった。社会人になると、仕事以外でこうした人と人との新たで緊密な繋がりを持てる機会は殆どない。一年間の活動を振り返ってみて、こうした機会を持てたことこそ、この塾の醍醐味であったと実感している。この冊子を通じて、こうした醍醐味が少しでも皆さんと共有できれば幸いである。
7.長崎ブランドの現状と提言
石橋 佳之夫
長崎には、全国的にアピールできる商品やサービスがあるはずであるが、ブランドの活かし方が下手な地域である、といった指摘があったため、長崎ブランドの現状を把握し、その上で何か提言できればいいなと考えてスタートした。
スタートして直ぐにわかったことは、なるほど長崎には全国に誇れるような産品がありながら、県外の産地にOEMのような形で供給されている事実があることであった。
地域団体商標の登録件数も他の都道府県と比較すると少ない。
誇りを持って長崎ブランドを全国に広めてほしいといいたい。
われわれ長崎ブランド塾の活動は、当初インターネットを利用した、登録商標の調査、地域団体商標を出願している団体の活動に関する調査などが中心であった。
これに加えて、日常生活の場でもアンテナを張り、遭遇する情報の中に長崎ブランドにつながるものがあればそれを取り上げ、事業の実態、そのブランド保護に対する意識のレベル、商標登録の有無などの実態を把握し、その結果に基づき、長崎ブランドをより活性化するための提言をまとめた。
調査した結果と提言は、在京長崎応援団塾のブログに掲載した。
今後も継続して長崎ブランドに関する検討の機会があるとすれば、ブログを中心に多くの人たちを巻き込んだ議論、あるいは8人程度のメンバーによるブレイン・ストーミングで、効果的な提言をまとめるようにしては、と考えている。
8.人と組織の力をアップするには
吉居 浩二
長崎にゆかりがある関東在住者として、ビジネスであれスポーツの世界であれ、長崎の方達やチームが活躍するのを見聞きすることは、大いに勇気付けられる。
今度は私たちで何か長崎の方たちを応援出来ることがないかということで、表題をテーマとしてレポートをつくった。
内容は、三部構成とした。第一部は、人や組織の力を高める仕組みを俯瞰するため、高める要因を整理しつつ体系図としてまとめた。更に、その中で重要な要因に対して解説を加えた。
第二部は、テーマに合致すると判断した図書を紹介した。図書には、長崎県人倶楽部の機関誌も入れ、その中で紹介されていた春の選抜高校野球で長崎初の優勝に導いた清峰高校野球部の吉田監督の言葉も紹介した。
第三部は、現在東京在住だが、かって長崎にある企業等の組織でリーダーとしてご活躍された方の座談会を設定し、長崎の方たちの気質を踏まえ、力をアップするための提言をまとめた。
本テーマは永遠のテーマであり、簡単に語りつくせるものではないが、力をアップするために過去からのセオリーを知り、第三部にまとめたように、現状を照らしてみることで、新たな行動が見えてくると思う。
僭越なレポートになったが、テーマが長崎在住の方たちに役立ち、且つ関東との、情報交換の機会になれば幸いである。
最後に、関東の伝習塾で、本テーマで自由に活動させて頂いたことを、長崎を思うメンバー4名を代表して感謝したい。
9.映像を活かした長崎の魅力発信
関根 留理子
地形、風土そして歴史とどれをとっても、唯一無二の魅力ある街・長崎。昔から、そんな長崎を舞台にした映画やドラマがたくさん撮影されているが、それをあまり活かしきれていない。ここ数年では、映画やドラマを誘致して、地域の観光や産業へつなげようと活動する地域も多い中、長崎ではあまりこのような取り組みを見受けられない。どうやって活用していくべきなのか、検証してみた。
事実、長崎という街は、とても恵まれている。同じ人口45万ほどの他都市と比べても、知名度は飛びぬけて高い。そのため、撮影に来る映像制作者は後を絶たない。他都市がロケ誘致に力を入れる中で、黙っていてもロケが来るとてもありがたい地区だ。
しかし、撮影が多いが故、撮影される作品を観光に活かしていく準備ができず、映画の公開やドラマの放送を迎えてしまう。
昨今、長崎市ではNHKの大河ドラマ「龍馬伝」で盛り上がっているように、映像と観光をつなげるためには、大々的に取り組み、地域を上げて盛り上げることが必要で、作品がヒットしてから取り掛かるのでは遅い。しかし、そのためには予算や人の確保も必要であり、全ての作品に対応するのも難しい。
まずは出来ることからと考えた時、長崎には、全国が注目し、マネをしている素晴らしい観光ツールがあることに気がつく。いまやその言葉さえ、全国的に使われるようになった「さるく観光」。
長崎らしい、人のコミュニケーションで成り立つさるくの映像版が、まずは長崎市のフィルムツーリズムの一歩になるのではないだろうか。
10.オペラ“蝶々夫人”を長崎の観光の目玉にし、長崎の活性化を図る
山口 義人
長崎が舞台の世界的に有名なプッチーニのオペラ「蝶々夫人」の毎週上演を長崎観光の目玉とし、世界各地から観光客を呼び寄せようというプロジェクトである。
これには、専門のオペラ劇場を作ろう、というアイデアも入っている。
有力な実例として、能登半島の七尾市は、人口6万弱の小都市ながら、総工費27億円で650席の立派な「能登演劇堂」を作り、仲代達也主演のシェークスピアの「マクベス」を、まさに年50回、上演し、日本各地からバスで観客を集め、町起しの目玉としている。http://www.engekido.com/sisetsu.html
同様な、オペラハウスを長崎は持つ資格がある。
幸い、沢山の歴史、文化を背景に持った、美しい港町長崎は、世界遺産候補、長崎のキリスト教教会群もあり、東洋でのキリスト教巡礼地になれるし、これに、オペラ“蝶々夫人”の観劇という目玉が加われば、まさに長崎は東洋一の観光地となると思う。
現在イタリアで大活躍中の、岡村喬生氏の脚本を、長崎版 “蝶々夫人”の定番とし、出演者はボランティア的要素で長崎在住者を中心に、大学、中高の音楽教師、学生から募集、格安でオペラ蝶々夫人を上演する。年間50回開催の、上演費約1億7.500万円を、平均入場者700-800人、入場料4500円で集め、広告費収入と合わせ、収支合い償う事業とする。現在年50隻入港している、観光船船客中心に観客動員を図り、年間上演予定を組む。
11.坂本龍馬について
坂本 貞好
2010年のNHK大河ドラマは長崎にも深い縁がある三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」の視線を通して描かれた「龍馬伝」。主演は長崎出身の福山雅治さん。
坂本龍馬については、昭和43年(1968)にも司馬遼太郎原作の「竜馬がゆく」がNHK大河ドラマで放送されていますが、視聴率は低迷し歴代大河ドラマではビリから2番目の14.5%であった。
2008年に「龍馬伝」の放送が決定し、主演の龍馬役に福山さんが抜擢されたこともあり、長崎では観光客誘致の企画が目白押しで既に大きな盛り上がりを見せていますが、我々メンバー3名は、龍馬ファンということではなく、「龍馬伝」放送を機会に龍馬関連の場所を訪ねたり、情報を収集し龍馬についての知識を深めて、一年間「龍馬伝」を楽しもうということがテーマにした大きな動機である。
訪ねた場所や関連行事への参加レポート等を自由に気楽にブログへ掲載するなど「龍馬伝」を通して長崎への関心を持ってもらい、結果的に長崎への観光客の増加に繋がることを期待しつつ活動してきた。
メンバーは、勤務先及び住居が東京、相模原、1名は長崎と東京を行き来しているということで3名揃っての行動は困難なため、「在京長崎応援団塾」の全体会合やメールなどで情報を交換しながら活動してきた。
「龍馬伝」の長崎時代の放送は、7月頃からということなので、引き続き「龍馬」を追いかけ“「龍馬伝」と長崎を盛り上げよう!”に繋げていきたいと思っている。
12.東京にあった?長崎の兄弟!
深野 浩平
われわれ4人は、東京の中にある長崎の「ゆかり」を探し出してガイドすることを目的に活動を行った。まずは、東京都豊島区に「長崎」という地名があるので、九州の長崎との関連がありや?なしや?の調査から。
参考文献をあたるばかりでなく、東京の「長崎神社」の秋の大祭を見学したり、東京の長崎にある長崎出身の大将がやっている居酒屋に集ったり・・・。調査というより遊びである。その結果、残念ながら、東京の長崎と九州の長崎の関連を証拠付ける歴史的なDNAは発見できなかった。しかし一方で、長崎大水害の際の心温まるエピソードや、東西の長崎で十数年前から今もなお続いている「寄席」の交流など、同じ名前であるが故の繋がりは発見できた。
さらに視野を東京全体に広げると、長崎の「ゆかり」が其処此処に散らばっていることがわかった。都内の博物館に収容されている数多くの文化財。幕末に長崎に登場した偉人の足跡。キリシタン弾圧の舞台となった場所。原爆という悲しい歴史を2度と繰り返さないためのモニュメントなど。そんな東京にある長崎の「ゆかり」を集めて、写真と一筆書きで紹介もしてみた。なお、東京で評判のちゃんぽん屋とか、長崎の食材を使った料理屋など、他にも興味ある「ゆかり」はたくさんあるのだが、全てを紹介できなかったのは残念であった。東京にそれほど多くの「ゆかり」があるとは、さすが長崎!である。
長崎出身・東京在住の方が故郷を思い起こすのに、また、これから長崎に旅行する方、転居する方が事前の予習をするのに、この拙稿が少しでも役に立てれば幸甚である。
13.東京発!長崎市観光誘致を考える!
宮嶋 淳一
長崎市への観光客は、平成18年の570万人をピークに下降気味である。長崎市周辺には多くの観光資源がありながらも、実際には活用されてない、上手にPRできてはいないのではないか。また、他県の観光都市はどのような集客をしているのか。われわれは在京長崎応援塾らしく、関東周辺からいかに長崎市に訪問客を増加させるかという点に絞ることとした。
県庁所在地で観光地として有名な北陸・金沢市が人気急上昇しているのを知るにつけても、長崎市への集客のための処方箋が必要ではないかということを考えた。
処方箋は主に5つを考え、チームの3人でそれぞれ担当を決めて掘り下げようとした。しかし、実際には他の観光都市に行って、観光視察をしたり、東京にあるアンテナショップをまわったりはできずに、インターネットや、本、パンフレットなどの資料を基に考えることに留まった。
5つの処方箋は、「(官製ではない)長崎市のホームページの新設」、「長崎市の東京でのアンテナショップの開設」、「新たに(東京における)長崎市のパンフレットの作成」、「長崎市訪問のための新メニュー、新規イベントの開発」、「長崎市から食の提案」などである。いずれも実際に実施するとなれば人・金がかかるので、今回は提言ということでまとめることとしたい。
東京から見た魅力的な長崎とは何か?今年はNHKで長崎出身の福山雅治さん主演の「龍馬伝」が放送され、長崎市への注目度がアップし長崎市を知ってもらう、長崎市に来てもらうには最高のタイミングである。
(感想)勘違いで入塾
福田 裕子
私が在京長崎応援団塾に応募したのは勘違いからだった。
母校(高校)のホームページを見ていて、先輩後輩で長崎を応援するということなんだ。それは楽しそうだなと思った。事情が分ったのは後のことで、その時は後のまつりだった(後のまつりというのは正しくないかも知れない)。
グループに分かれ、長崎にまつわるテーマを決め、調査・検討しまとめ上げて、長崎にもどすという。
中学、高校の時のみ住んだ長崎。何も分ってないことが分った。そこで「長崎への質問」というテーマに参加したのだけれど、あまり協力できずに終わり、申し訳ない思いをしている。
塾生の方は長崎に並々ならぬ愛着と色々な実力を持っておられる方ばかりなので、ついていくのにしんどい気持ちになったことも少しはあるが、自分のできる範囲で参加させていただいた。
改めて長崎の歴史に思いを馳せると、江戸、明治期の日本での重要な役割を果たした地であるということ、昭和期の原爆被災地であるということだ。この先、日本でさらに世界でどのような意味のある街として進んでいくのか注目していたい。
最後に、人はひとつの共通点があれば大いにつながることが分かる。会の後の飲み会で、長崎の話で盛り上がること!
他の県や市はどんな応援網を広げているのだろうか、と気になってきた。
(感想)在京長崎応援団塾に参加して
三浦 剛
「長崎伝習所なるものが東京で行われるらしい」という噂を耳にし、「長崎出身者としては話を聞いておかねば」と説明会に参加した。集まったメンバーの共通項は「長崎が好き」という1点のみで世代・出身地・経歴・参加目的ともにばらばら。説明を聞いても何をやるのか今一つ良くわからなかったが、「何か面白そう」と参加させてもらうことにした。
東京という街は意外に広く、また参加者も多忙な人が多く集まること自体が大変だったが、月に1度くらいの頻度で集まる中でだんだん会の方向性とチームワークが生まれてきた。(私も初期は殆ど参加できず申し訳ありませんでした。)
私は「長崎を応援するWG」に参加したが、まずは仕事の繋がりや利害関係が全くない人達とのフリーディスカッションや共同で進める作業・活動がとても新鮮だった。また、長崎以外の出身で長崎に住んだ経験がある人の「長崎の好きなところ」、長崎の歴史研究をしておられる方の「歴史観」などで目からウロコの新発見があり、長年不思議に思っていた長崎の特徴の理由を発見できたりした。
郷里「長崎」が時代の変化に対応し、今後もその素晴らしさを失わず、維持して欲しいと願っているが、日本という国の形自体が大きく変わりつつある中で、長崎ファン(サポーター?)を増やしていくという事も長崎にとって必要なのかもしれないとも思う。今後も在京長崎応援団が継続し、長崎ファンが着実に増えていくことを期待したい。
末尾となりましたが、お世話いただいた長崎市東京事務所の皆さま、深野塾長様、その他参加者の皆さまに心より感謝申し上げます。
(感想)在京長崎応援団塾に参加して
八児 正紀
高校3年間だけ長崎で寮生活をしていたが、大学進学で上京してしまったため、そもそもが「よそもん」の私は、長崎を満喫したとは言い難く、その心残りがずっとあった。
そういうところに「じげもん」の同級生から塾への誘いがあり、勇気を出して応募した。
未曾有の大不況の中、この東京で「長崎を愛し、応援したい」という物好き(?)な塾生が集えたことは素晴らしいご縁だった。
入塾当初は、塾生それぞれの背景が様々なので、ある程度の統制がないと纏めていくのは難しいのではと心配した時期もあったが、制限を設けないことに徹底された深野塾長の方針は大正解だったと思う。塾長のおっしゃるように、それぞれが熱く自己主張する、和・華・蘭の「卓袱料理」が、この東京で、とりあえず、できた。味はワカランが・・・。
居酒屋を中心とした(笑)活動の中で色々な意見交換をすることで、塾生それぞれの長崎への想い、愛し方、感じ方、楽しみ方の違いを知ることができ、貴重な財産となった。
次年度以降どうなるかわからないが、東京で出来上がる「卓袱料理」を、作るほうも食べるほうも、お互いのこだわりを理解しながら、大勢の仲間で楽しめるといいなと思う。
現在私は、長崎への恩返しと継続的な係わりを求めて、長崎を応援するブログポータルサイト「のらんば長崎」の運営を行っている。
今年度は塾のポータルサイトを作成し、各グループの活動報告をブログで発信し、能動的に相互交流する試みを支援させて戴いた。
在京長崎応援団塾の活動によって、長崎を愛し応援するネットワークが、WEBを通じて全国・世界に拡がれば幸いである。
以上
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08:53
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2010年01月29日
冊子の「はじめに」
皆さん、こんにちは。
ふかのこうへいです。
在京長崎応援団塾で作成する冊子は、皆さんが所属している各グループのレポート集になりますが、最初のところの「はじめに」の草案を作成してみましたので、下記に添付いたします。
ご一読頂き、何かあれば、このブログにコメントして下さい。
なお、「はじめに」のあとに総長(田上さん)から一言をいただけないかと、現在、市と調整中です。もしそれが実現したら、総長からのコメントがあって、その後に、目次・各レポートの順になる予定です。
宜しくお願いいたします。
記
在京長崎応援団(草案)
~ 東京在住長崎フリークの長崎への応援歌 ~
(はじめに・・・塾長からのご挨拶)
長崎市東京事務所の方から、長崎伝習所塾を東京でもやってみたい、とのお話を頂いたのは昨年初だった。東京のような広い町で定期的に人を集めて、しかもまとまった成果を出すような活動はできるのだろうか。迷った時期もあった。ただ、やってみなければ何も始まらない!との思いで、手を挙げた。
さて、テーマは何にしようか・・・?塾の活動に参加してくれそうな長崎時代の知人に意見を聞いた。東京で塾を開催するなら、長崎にいてはできない塾活動が良い。長崎の外にいるからこそ見えてくる長崎の隠れた魅力、長崎から離れたからこそ感じる長崎への思い、長崎の外に点在している長崎にゆかりの品々、そういった素材を自由に加工して、レポートの形で長崎に情報発信してはどうか、ということになった。
それから一年余り。塾の活動は、船頭たる塾長の不手際からダッチロールを繰り返しながらも、ゴールにたどり着いた。その原動力は、何といっても在京長崎応援団という塾名そのままの、「長崎のために」と集まった塾生の皆さんの熱い思いだ。むしろ、塾生に背中を押されて、ゴールに辿りついた感が強い。
また、東京での長崎伝習所塾開催という初めての試みであったが故に、関係者の皆さんに様々な我侭をきいていただき、また、成果についても水準を求めず、まずは完走すればよい、との気楽な気持ちで取り組ませていただいたので、今があると感謝している。
実際に塾を立ち上げるにあたり、塾の目的を大きく2つに絞った。一つは、上述のとおり、東京から長崎に向けて、レポートの形で長崎を応援し、恩返しすること、そしてもう一つは、東京近辺に住む長崎フリークのネットワークを形あるものにすることだ。
一つ目の課題については、長崎市内で活動している塾のように、レポートのテーマを一つに絞って全員で取り組む、という考え方もあった。しかし、ここは東京だ。自宅も離れているし、全員が定期的に一同に会することを求めるのは難しい。であれば、一番成果をまとめやすいやり方を考える必要がある。場合によっては一人でも活動できるように、各自が思い思いのテーマを選択しそれをレポート等の形で纏め上げられれば良いのではないか。ということで、各自が興味あるテーマを選択し、それをレポートのような形に取りまとめ、成果物はそのレポート集とすることとした。
もう一つの課題は、ヒトの基盤作りだ。とはいっても、既にこの塾に手を挙げてきた時点で、「長崎に対する思い」というバーをクリアしている塾生ばかりなので、そうした個々の思いを有機的に連携させられるような、しかも長続きするようなインフラを整備しようと目指した。
東京では、一箇所に集合するだけでも、集合するための移動時間・コストがかかる、勤務後となると会議開始時刻が遅くなる、等の問題を避けられない。現に、この塾の定期会合は一ヶ月に1回開催されておらず、また、会議室の都合で1回の開催時間が1時間強に制限されていた。このため、日常の情報伝達・意見交換はインターネットやメールの活用を基本とした。その一方で、定期会合の限られた時間は、個々の研究についての意見交換よりも、特に重要な作業スケジュールや段取りの説明など、ロジスティックな内容が中心となった。ただし、そうした内容だけだと定期会合は乾燥したものになる。このため、定期会合の後には、必ず有志で居酒屋に繰り出し、ここぞとばかり、潤いのある話をした。
最初は、なかなかレポートのテーマが集約できない時期が続いた。当然だ。ここに集まった面々は、長崎に対しそれぞれの思いを持ったひとかどの人物ばかりだ。隣の塾生とは多少、興味や主張が異なる。そこが妥協できないのだ。もしかしたら、塾生の数だけレポートが出来上がるのか?とも思った。それならそれでいい!とも割切った。しかし、何度か会合を重ね、それぞれの思いを相互に理解するようになると、おのずとテーマが集約されていった。集約の過程で、テーマは一段と深み増したり、ソフィストケートされたりしていった。
こうして最終的に複数のテーマが固まった。研究活動は各テーマごとの担当者が自由に価格立案・遂行した。塾からは、期限と分量を伝えるだけである。各テーマの担当者は、ネットを通じて他のテーマの担当者に参加を呼びかけたりもした。逆に、担当外のテーマに関して意見を伝える塾生も出てきた。無秩序な運営を善意と好意が助け、塾活動は前進していった。
また、定期会合のうち一度は、壱岐の老舗旅館で修行をしている塾生のプロデュースで、とある店を借り切って壱岐料理のパーティを開催した。壱岐から旅館の女将も参加し、その時は参加者が膨れ上がった。この塾の塾生は、とりわけ美味しいものに目がない。
塾生の熱い思いを形にしたレポート集は、とりあえずここに完成した。素材が歪まないように、塾として塾生の活動や主張をコントロールすることは避けたため、レポート集は、ご覧になれば一目瞭然だが、荒削りな料理を一緒に皿に盛り付けたようなものである。個々の料理全体に通じるコンセプトのようなものはなく、共通点は「オレは、私は、長崎のために何かしたかった」という叫びだけだ。結局、塾生たちで選んだテーマは14に上った。ふるさと納税やブランド力、人材育成など、比較的堅めのテーマから、観光、映像、そして蝶々夫人や今流行の坂本龍馬、自らの長崎単身生活を綴った柔らかいテーマまで種々雑多だ。考えてみれば、長崎の卓袱料理も、その時々の贅を無秩序に一皿に盛り合わせたものである。この塾の成果に似ている。言わば「和」「華」「蘭」のレポート集だ。そして、料理人たる塾生たちは胸を張る。この熱い思いで作り上げた料理を、熱いうちに召し上がれ!「御鰭をどうぞ!」と。
一方、東京での長崎フリークネットワークの構築は、オンラインとオフラインの二本立てとした。前述の通りメールで様々な情報交換もしたし、ある塾生の好意により、在京長崎応援団塾のサイトも立ち上げた。サイトの活用実績は未だ十分とはいえないかもしれないが、単なる事務連絡にとどまらず、長崎への帰省時の話題を提供したり、分科活動の簡単なレポートを掲載したり、徐々に稼働率が高まっている。このサイトが、東京近郊在住の長崎フリークの「溜まり場」に成長していってくれたら素晴らしい。
face to faceのオフラインの活動は、定期会合の後の居酒屋ツアーが代表的だ。しかし、長崎まで行って料亭で検番さんと楽しいひと時を過ごしたり、長崎出身の大将がいる居酒屋に集まったり、岩崎邸を見学したり、様々な分科会が派生的に発生した。まさに活きている、そして繁殖している塾活動だな、と感じた次第だ。この塾の塾生は、どうやらオンラインの繋がりより、オフラインの接触を嗜好するようだ。
以下には、こうした経緯で作成された、東京在住長崎フリークによる在京長崎応援団塾の成果を掲載する。いずれも塾生の個性が凝縮された「珠玉の迷作」ばかりだ。是非、ご一読頂き、皆様の長崎観とぶつけていただきたい。なお、以下に掲載されている文章の記載や意見・主張の責は全て作成者たる塾生に帰すものであり、伝習所塾を取りまとめている長崎市とは無関係である点を申し添えておく。
とにもかくにも、在京長崎応援団塾の1年が終わった。ただ、仮に塾が終焉したとしても、塾生にとっては、このつながりがスタートしたことに他ならない。来年の今頃も塾生の誰かが、塾生の誰かを誘って、どこかの居酒屋で長崎を酒の肴に集っているに違いない。
ふかのこうへいです。
在京長崎応援団塾で作成する冊子は、皆さんが所属している各グループのレポート集になりますが、最初のところの「はじめに」の草案を作成してみましたので、下記に添付いたします。
ご一読頂き、何かあれば、このブログにコメントして下さい。
なお、「はじめに」のあとに総長(田上さん)から一言をいただけないかと、現在、市と調整中です。もしそれが実現したら、総長からのコメントがあって、その後に、目次・各レポートの順になる予定です。
宜しくお願いいたします。
記
在京長崎応援団(草案)
~ 東京在住長崎フリークの長崎への応援歌 ~
(はじめに・・・塾長からのご挨拶)
長崎市東京事務所の方から、長崎伝習所塾を東京でもやってみたい、とのお話を頂いたのは昨年初だった。東京のような広い町で定期的に人を集めて、しかもまとまった成果を出すような活動はできるのだろうか。迷った時期もあった。ただ、やってみなければ何も始まらない!との思いで、手を挙げた。
さて、テーマは何にしようか・・・?塾の活動に参加してくれそうな長崎時代の知人に意見を聞いた。東京で塾を開催するなら、長崎にいてはできない塾活動が良い。長崎の外にいるからこそ見えてくる長崎の隠れた魅力、長崎から離れたからこそ感じる長崎への思い、長崎の外に点在している長崎にゆかりの品々、そういった素材を自由に加工して、レポートの形で長崎に情報発信してはどうか、ということになった。
それから一年余り。塾の活動は、船頭たる塾長の不手際からダッチロールを繰り返しながらも、ゴールにたどり着いた。その原動力は、何といっても在京長崎応援団という塾名そのままの、「長崎のために」と集まった塾生の皆さんの熱い思いだ。むしろ、塾生に背中を押されて、ゴールに辿りついた感が強い。
また、東京での長崎伝習所塾開催という初めての試みであったが故に、関係者の皆さんに様々な我侭をきいていただき、また、成果についても水準を求めず、まずは完走すればよい、との気楽な気持ちで取り組ませていただいたので、今があると感謝している。
実際に塾を立ち上げるにあたり、塾の目的を大きく2つに絞った。一つは、上述のとおり、東京から長崎に向けて、レポートの形で長崎を応援し、恩返しすること、そしてもう一つは、東京近辺に住む長崎フリークのネットワークを形あるものにすることだ。
一つ目の課題については、長崎市内で活動している塾のように、レポートのテーマを一つに絞って全員で取り組む、という考え方もあった。しかし、ここは東京だ。自宅も離れているし、全員が定期的に一同に会することを求めるのは難しい。であれば、一番成果をまとめやすいやり方を考える必要がある。場合によっては一人でも活動できるように、各自が思い思いのテーマを選択しそれをレポート等の形で纏め上げられれば良いのではないか。ということで、各自が興味あるテーマを選択し、それをレポートのような形に取りまとめ、成果物はそのレポート集とすることとした。
もう一つの課題は、ヒトの基盤作りだ。とはいっても、既にこの塾に手を挙げてきた時点で、「長崎に対する思い」というバーをクリアしている塾生ばかりなので、そうした個々の思いを有機的に連携させられるような、しかも長続きするようなインフラを整備しようと目指した。
東京では、一箇所に集合するだけでも、集合するための移動時間・コストがかかる、勤務後となると会議開始時刻が遅くなる、等の問題を避けられない。現に、この塾の定期会合は一ヶ月に1回開催されておらず、また、会議室の都合で1回の開催時間が1時間強に制限されていた。このため、日常の情報伝達・意見交換はインターネットやメールの活用を基本とした。その一方で、定期会合の限られた時間は、個々の研究についての意見交換よりも、特に重要な作業スケジュールや段取りの説明など、ロジスティックな内容が中心となった。ただし、そうした内容だけだと定期会合は乾燥したものになる。このため、定期会合の後には、必ず有志で居酒屋に繰り出し、ここぞとばかり、潤いのある話をした。
最初は、なかなかレポートのテーマが集約できない時期が続いた。当然だ。ここに集まった面々は、長崎に対しそれぞれの思いを持ったひとかどの人物ばかりだ。隣の塾生とは多少、興味や主張が異なる。そこが妥協できないのだ。もしかしたら、塾生の数だけレポートが出来上がるのか?とも思った。それならそれでいい!とも割切った。しかし、何度か会合を重ね、それぞれの思いを相互に理解するようになると、おのずとテーマが集約されていった。集約の過程で、テーマは一段と深み増したり、ソフィストケートされたりしていった。
こうして最終的に複数のテーマが固まった。研究活動は各テーマごとの担当者が自由に価格立案・遂行した。塾からは、期限と分量を伝えるだけである。各テーマの担当者は、ネットを通じて他のテーマの担当者に参加を呼びかけたりもした。逆に、担当外のテーマに関して意見を伝える塾生も出てきた。無秩序な運営を善意と好意が助け、塾活動は前進していった。
また、定期会合のうち一度は、壱岐の老舗旅館で修行をしている塾生のプロデュースで、とある店を借り切って壱岐料理のパーティを開催した。壱岐から旅館の女将も参加し、その時は参加者が膨れ上がった。この塾の塾生は、とりわけ美味しいものに目がない。
塾生の熱い思いを形にしたレポート集は、とりあえずここに完成した。素材が歪まないように、塾として塾生の活動や主張をコントロールすることは避けたため、レポート集は、ご覧になれば一目瞭然だが、荒削りな料理を一緒に皿に盛り付けたようなものである。個々の料理全体に通じるコンセプトのようなものはなく、共通点は「オレは、私は、長崎のために何かしたかった」という叫びだけだ。結局、塾生たちで選んだテーマは14に上った。ふるさと納税やブランド力、人材育成など、比較的堅めのテーマから、観光、映像、そして蝶々夫人や今流行の坂本龍馬、自らの長崎単身生活を綴った柔らかいテーマまで種々雑多だ。考えてみれば、長崎の卓袱料理も、その時々の贅を無秩序に一皿に盛り合わせたものである。この塾の成果に似ている。言わば「和」「華」「蘭」のレポート集だ。そして、料理人たる塾生たちは胸を張る。この熱い思いで作り上げた料理を、熱いうちに召し上がれ!「御鰭をどうぞ!」と。
一方、東京での長崎フリークネットワークの構築は、オンラインとオフラインの二本立てとした。前述の通りメールで様々な情報交換もしたし、ある塾生の好意により、在京長崎応援団塾のサイトも立ち上げた。サイトの活用実績は未だ十分とはいえないかもしれないが、単なる事務連絡にとどまらず、長崎への帰省時の話題を提供したり、分科活動の簡単なレポートを掲載したり、徐々に稼働率が高まっている。このサイトが、東京近郊在住の長崎フリークの「溜まり場」に成長していってくれたら素晴らしい。
face to faceのオフラインの活動は、定期会合の後の居酒屋ツアーが代表的だ。しかし、長崎まで行って料亭で検番さんと楽しいひと時を過ごしたり、長崎出身の大将がいる居酒屋に集まったり、岩崎邸を見学したり、様々な分科会が派生的に発生した。まさに活きている、そして繁殖している塾活動だな、と感じた次第だ。この塾の塾生は、どうやらオンラインの繋がりより、オフラインの接触を嗜好するようだ。
以下には、こうした経緯で作成された、東京在住長崎フリークによる在京長崎応援団塾の成果を掲載する。いずれも塾生の個性が凝縮された「珠玉の迷作」ばかりだ。是非、ご一読頂き、皆様の長崎観とぶつけていただきたい。なお、以下に掲載されている文章の記載や意見・主張の責は全て作成者たる塾生に帰すものであり、伝習所塾を取りまとめている長崎市とは無関係である点を申し添えておく。
とにもかくにも、在京長崎応援団塾の1年が終わった。ただ、仮に塾が終焉したとしても、塾生にとっては、このつながりがスタートしたことに他ならない。来年の今頃も塾生の誰かが、塾生の誰かを誘って、どこかの居酒屋で長崎を酒の肴に集っているに違いない。
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2010年01月20日
冊子の構成(掲載の順番)
おはようございます。ふかのこうへいです。
皆様からのテーマを下記の構成で冊子にまとめてはいかがか、と考えています。
ご意見がありましたら、このブログにコメントをお寄せください。
記
1.はじめに
2.長崎をもっと知ろう!
(1)長崎への質問~なるほど長崎
(2)外から長崎を見る
(3)日本の近代文明発祥の地、長崎
(4)小説「交代寄合伊那衆異聞」から読む江戸末期の長崎像
(5)尾鰭をどうぞ~長崎料亭文化を楽しむ
(6)長崎に単身赴任してみて・・・
3.長崎をもっと元気にするには?
(1)ふるさと納税で長崎を応援する
(2)長崎ブランドの現状と提言
(3)長崎の人と組織の力をアップする応援
(4)映像を活かした長崎の魅力発信
4.長崎ゆかりの人達を探して
(1)オペラ蝶々夫人を長崎観光の目玉に
(2)坂本龍馬について
5.東京での長崎
(1)東京にあった?長崎の兄弟!
(2)首都圏における長崎への観光誘致
以上
皆様からのテーマを下記の構成で冊子にまとめてはいかがか、と考えています。
ご意見がありましたら、このブログにコメントをお寄せください。
記
1.はじめに
2.長崎をもっと知ろう!
(1)長崎への質問~なるほど長崎
(2)外から長崎を見る
(3)日本の近代文明発祥の地、長崎
(4)小説「交代寄合伊那衆異聞」から読む江戸末期の長崎像
(5)尾鰭をどうぞ~長崎料亭文化を楽しむ
(6)長崎に単身赴任してみて・・・
3.長崎をもっと元気にするには?
(1)ふるさと納税で長崎を応援する
(2)長崎ブランドの現状と提言
(3)長崎の人と組織の力をアップする応援
(4)映像を活かした長崎の魅力発信
4.長崎ゆかりの人達を探して
(1)オペラ蝶々夫人を長崎観光の目玉に
(2)坂本龍馬について
5.東京での長崎
(1)東京にあった?長崎の兄弟!
(2)首都圏における長崎への観光誘致
以上
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2010年01月18日
研究成果報告書
皆さん!寒いですが、お元気ですか。
さて、長崎市から、伝習所塾の研究成果報告書の原稿作成依頼があったことは既にメールでお知らせしたとおりです。各テーマのリーダーの方々には、半ページに収まるようにエッセンスをまとめていただくよう、お願いもいたしました。
さて、今回は、研究成果報告書の在京長崎応援団塾の項の一番最初に見開きで塾の概要を紹介するページがありまして、この週末にその草稿(予定原稿)を書いてみましたので、ここに掲載いたします。
皆さんも意見があるかと思いますので、下記の草稿についての修正意見がありましたら極力具体的な修文案の形で、このブログにコメントしてください(メールで意見を頂くと、ほかの塾生が閲覧できなくなりますので、必ずこのブログ上でコメントをいただきたく、お願いいたします)。
記
■ 塾長コメント ■
長崎市東京事務所の方から、長崎伝習所塾を東京でもやってみたい、とのお話を頂いたのは昨年初だった。東京のような広い町で定期的に人を集めて、しかもまとまった成果を出すような活動はできるのだろうか。迷った時期もあった。ただ、やってみなければ何も始まらない!との思いで、手を挙げた。
それから一年余り。塾の活動は、船頭たる塾長の不手際からダッチロールを繰り返しながらも、ゴールにたどり着いた。その原動力は、何といっても在京長崎応援団という塾名そのままの、「長崎のために」と集まった塾生の皆さんの熱い思いだ。むしろ、塾生に背中を押されて、ゴールに辿りついた感が強い。
また、東京での長崎伝習所塾開催という初めての試みであったが故に、関係者の皆さんに様々な我侭をきいていただき、また、成果についても水準を求めず、まずは完走すればよい、との気楽な気持ちで取り組ませていただいたので、今があると感謝している。
■ 塾の目的 ■
この塾の目的は2つある。一つは、東京近辺に住む長崎フリークが何らかの形で長崎のため何かをすること。もう一つは、東京近辺に住む長崎フリークのネットワークを形あるものにすることだ。
一つ目の課題については、長崎市内で活動している塾のように、テーマを一つに絞って全員で取り組む、という考え方もあった。しかし、ここは東京だ。自宅も離れているし、全員が定期的に一同に会することを求めるのは難しい。であれば、一番成果をまとめやすいやり方を考える必要がある。場合によっては一人でも活動できるように、各自が思い思いのテーマを選択しそれをレポート等の形で纏め上げられれば良いのではないか。ということで、各自が興味あるテーマを選択し、それをレポートのような形に取りまとめ、成果物はそのレポート集とすることとした。
もう一つの課題は、ヒトの基盤作りだ。とはいっても、既にこの塾に手を挙げてきた時点で、「長崎に対する思い」というバーをクリアしている塾生ばかりなので、そうした個々の思いを有機的に連携させられるような、しかも長続きするようなインフラを整備しようと目指した。
■ 塾の研究・活動内容 ■
東京では、一箇所に集合するだけでも、集合するための移動時間・コストがかかる、勤務後となると会議開始時刻が遅くなる、等の問題を避けられない。現に、この塾の定期会合は一ヶ月に1回開催されておらず、また、会議室の都合で1回の開催時間が1時間強に制限されていた。このため、日常の情報伝達・意見交換はインターネットやメールの活用を基本とした。その一方で、定期会合の限られた時間は、個々の研究についての意見交換よりも、特に重要な作業スケジュールや段取りの説明など、ロジスティックな内容が中心となった。ただし、そうした内容だけだと定期会合は乾燥したものになる。このため、定期会合の後には、必ず有志で居酒屋に繰り出し、ここぞとばかり、潤いのある話をした。
一方、研究活動は各テーマごとの担当者が自由に価格立案・遂行した。塾からは、期限と分量を伝えるだけである。各テーマの担当者は、ネットを通じて他のテーマの担当者に参加を呼びかけたりもした。逆に、担当外のテーマに関して意見を伝える塾生も出てきた。無秩序な運営を善意と好意が助け、塾活動は前進していった。
また、定期会合のうち一度は、壱岐の老舗旅館で修行をしている塾生のプロデュースで、とある店を借り切って壱岐料理のパーティを開催した。壱岐から旅館の女将も参加され、その時は参加者が膨れ上がった。この塾の塾生は、とりわけ美味しいものに目がない。
■ 塾活動の成果 ■
塾生の熱い思いを形にしたレポート集は、とりあえず完成した。素材が歪まないように、塾として塾生の活動や主張をコントロールすることは避けたため、レポート集はご覧になれば一目瞭然だが、荒削りな料理を一緒に皿に盛り付けたようなものである。個々の料理全体に通じるコンセプトのようなものはなく、共通点は「オレは、私は、長崎のために何かしたかった」という叫びだけだ。結局、塾生たちで選んだテーマは14に上った。ふるさと納税やブランド力、人材育成など、比較的堅めのテーマから、観光、映像、そして蝶々夫人や今流行の坂本龍馬、自らの長崎単身生活を綴った柔らかいテーマまで種々雑多だ。
考えてみれば、長崎の卓袱料理も、その時々の贅を無秩序に一皿に盛り合わせたものである。この塾の成果に似ている。「和」「華」「蘭」という響きも含め・・・?。そして、料理人たる塾生たちは胸を張る。この熱い思いで作り上げた料理を、熱いうちに召し上がれ!と。
なお、こうした経緯で作成された冊子であるため、掲載されている文章の記載や意見・主張の責は全て作成者たる塾生に帰すものであり、伝習所塾を取りまとめている長崎市とは無関係だ。
一方、東京での長崎フリークネットワークの構築は、オンラインとオフラインの二本立てとした。前述の通りメールで様々な情報交換もしたし、ある塾生の好意により、在京長崎応援団塾のサイトも立ち上げた。サイトの活用実績は未だ十分とはいえないかもしれないが、単なる事務連絡にとどまらず、長崎への帰省時の話題を提供したり、分科活動の簡単なレポートを掲載したり、徐々に稼働率が高まっている。このサイトが、東京近郊在住の長崎フリークの「溜まり場」に成長していってくれたら素晴らしい。
一方、face to faceのオフラインの活動は、定期会合の後の居酒屋ツアーが代表的だ。しかし、長崎まで行って料亭で検番さんと楽しいひと時を過ごしたり、長崎出身の大将がいる居酒屋に集まったり、岩崎邸を見学したり、様々な分科会が派生的に発生した。まさに活きている、そして繁殖している塾活動だな、と感じた次第だ。この塾の塾生は、どうやらオンラインの繋がりより、オフラインの接触を嗜好するようだ。
とにもかくにも、在京長崎応援団塾の1年が終わった。ただ、仮に塾が終焉したとしても、塾生にとっては、このつながりがスタートしたことに他ならない。来年の今頃も塾生の誰かが居酒屋で集っていそうな気がする。 以上
さて、長崎市から、伝習所塾の研究成果報告書の原稿作成依頼があったことは既にメールでお知らせしたとおりです。各テーマのリーダーの方々には、半ページに収まるようにエッセンスをまとめていただくよう、お願いもいたしました。
さて、今回は、研究成果報告書の在京長崎応援団塾の項の一番最初に見開きで塾の概要を紹介するページがありまして、この週末にその草稿(予定原稿)を書いてみましたので、ここに掲載いたします。
皆さんも意見があるかと思いますので、下記の草稿についての修正意見がありましたら極力具体的な修文案の形で、このブログにコメントしてください(メールで意見を頂くと、ほかの塾生が閲覧できなくなりますので、必ずこのブログ上でコメントをいただきたく、お願いいたします)。
記
■ 塾長コメント ■
長崎市東京事務所の方から、長崎伝習所塾を東京でもやってみたい、とのお話を頂いたのは昨年初だった。東京のような広い町で定期的に人を集めて、しかもまとまった成果を出すような活動はできるのだろうか。迷った時期もあった。ただ、やってみなければ何も始まらない!との思いで、手を挙げた。
それから一年余り。塾の活動は、船頭たる塾長の不手際からダッチロールを繰り返しながらも、ゴールにたどり着いた。その原動力は、何といっても在京長崎応援団という塾名そのままの、「長崎のために」と集まった塾生の皆さんの熱い思いだ。むしろ、塾生に背中を押されて、ゴールに辿りついた感が強い。
また、東京での長崎伝習所塾開催という初めての試みであったが故に、関係者の皆さんに様々な我侭をきいていただき、また、成果についても水準を求めず、まずは完走すればよい、との気楽な気持ちで取り組ませていただいたので、今があると感謝している。
■ 塾の目的 ■
この塾の目的は2つある。一つは、東京近辺に住む長崎フリークが何らかの形で長崎のため何かをすること。もう一つは、東京近辺に住む長崎フリークのネットワークを形あるものにすることだ。
一つ目の課題については、長崎市内で活動している塾のように、テーマを一つに絞って全員で取り組む、という考え方もあった。しかし、ここは東京だ。自宅も離れているし、全員が定期的に一同に会することを求めるのは難しい。であれば、一番成果をまとめやすいやり方を考える必要がある。場合によっては一人でも活動できるように、各自が思い思いのテーマを選択しそれをレポート等の形で纏め上げられれば良いのではないか。ということで、各自が興味あるテーマを選択し、それをレポートのような形に取りまとめ、成果物はそのレポート集とすることとした。
もう一つの課題は、ヒトの基盤作りだ。とはいっても、既にこの塾に手を挙げてきた時点で、「長崎に対する思い」というバーをクリアしている塾生ばかりなので、そうした個々の思いを有機的に連携させられるような、しかも長続きするようなインフラを整備しようと目指した。
■ 塾の研究・活動内容 ■
東京では、一箇所に集合するだけでも、集合するための移動時間・コストがかかる、勤務後となると会議開始時刻が遅くなる、等の問題を避けられない。現に、この塾の定期会合は一ヶ月に1回開催されておらず、また、会議室の都合で1回の開催時間が1時間強に制限されていた。このため、日常の情報伝達・意見交換はインターネットやメールの活用を基本とした。その一方で、定期会合の限られた時間は、個々の研究についての意見交換よりも、特に重要な作業スケジュールや段取りの説明など、ロジスティックな内容が中心となった。ただし、そうした内容だけだと定期会合は乾燥したものになる。このため、定期会合の後には、必ず有志で居酒屋に繰り出し、ここぞとばかり、潤いのある話をした。
一方、研究活動は各テーマごとの担当者が自由に価格立案・遂行した。塾からは、期限と分量を伝えるだけである。各テーマの担当者は、ネットを通じて他のテーマの担当者に参加を呼びかけたりもした。逆に、担当外のテーマに関して意見を伝える塾生も出てきた。無秩序な運営を善意と好意が助け、塾活動は前進していった。
また、定期会合のうち一度は、壱岐の老舗旅館で修行をしている塾生のプロデュースで、とある店を借り切って壱岐料理のパーティを開催した。壱岐から旅館の女将も参加され、その時は参加者が膨れ上がった。この塾の塾生は、とりわけ美味しいものに目がない。
■ 塾活動の成果 ■
塾生の熱い思いを形にしたレポート集は、とりあえず完成した。素材が歪まないように、塾として塾生の活動や主張をコントロールすることは避けたため、レポート集はご覧になれば一目瞭然だが、荒削りな料理を一緒に皿に盛り付けたようなものである。個々の料理全体に通じるコンセプトのようなものはなく、共通点は「オレは、私は、長崎のために何かしたかった」という叫びだけだ。結局、塾生たちで選んだテーマは14に上った。ふるさと納税やブランド力、人材育成など、比較的堅めのテーマから、観光、映像、そして蝶々夫人や今流行の坂本龍馬、自らの長崎単身生活を綴った柔らかいテーマまで種々雑多だ。
考えてみれば、長崎の卓袱料理も、その時々の贅を無秩序に一皿に盛り合わせたものである。この塾の成果に似ている。「和」「華」「蘭」という響きも含め・・・?。そして、料理人たる塾生たちは胸を張る。この熱い思いで作り上げた料理を、熱いうちに召し上がれ!と。
なお、こうした経緯で作成された冊子であるため、掲載されている文章の記載や意見・主張の責は全て作成者たる塾生に帰すものであり、伝習所塾を取りまとめている長崎市とは無関係だ。
一方、東京での長崎フリークネットワークの構築は、オンラインとオフラインの二本立てとした。前述の通りメールで様々な情報交換もしたし、ある塾生の好意により、在京長崎応援団塾のサイトも立ち上げた。サイトの活用実績は未だ十分とはいえないかもしれないが、単なる事務連絡にとどまらず、長崎への帰省時の話題を提供したり、分科活動の簡単なレポートを掲載したり、徐々に稼働率が高まっている。このサイトが、東京近郊在住の長崎フリークの「溜まり場」に成長していってくれたら素晴らしい。
一方、face to faceのオフラインの活動は、定期会合の後の居酒屋ツアーが代表的だ。しかし、長崎まで行って料亭で検番さんと楽しいひと時を過ごしたり、長崎出身の大将がいる居酒屋に集まったり、岩崎邸を見学したり、様々な分科会が派生的に発生した。まさに活きている、そして繁殖している塾活動だな、と感じた次第だ。この塾の塾生は、どうやらオンラインの繋がりより、オフラインの接触を嗜好するようだ。
とにもかくにも、在京長崎応援団塾の1年が終わった。ただ、仮に塾が終焉したとしても、塾生にとっては、このつながりがスタートしたことに他ならない。来年の今頃も塾生の誰かが居酒屋で集っていそうな気がする。 以上
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11:00
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2010年01月01日
いよいよ大河ドラマ「龍馬伝」、3日から放送開始です!
在京長崎応援団塾の皆様、明けましておめでとうございます。
龍馬グループ坂本です。今年も宜しくお願いします。
「龍馬伝」で主演の福山雅治さんが、大晦日から元旦にかけて頻繁にテレビに出ており、3日からの放送 がワクワクしてきましたが、先週末長崎に帰省しましたので、龍馬関連の長崎情報の報告です。
・長崎市役所に25日(金)私用があったので、用を終えた後、受付から龍馬係長への面会をお願いした ら、あいにく外出中で18時過ぎに携帯に電話があり、1月2日に浜町にオープンする「長崎まちなか龍馬館」の準備で駆け回っています。とのことでした。土曜、日曜も仕事だということだったので、長崎滞在中3回ほど「長崎まちなか龍馬館」(浜町ベルナード観光通りのベスト電器の入っているビルの1階及び地階)に行ってみたのですが、すれ違いで龍馬係長には会うことができませんでした。(残念)
・ベルナード観光通り、「長崎まちなか龍馬館」の様子です。
福山雅治さんが出ているTOSHIBAのCMの垂れ幕と「長崎まちなか龍馬館」の垂れ幕が掛かっていました。
・「長崎まちなか龍馬館」の1階エントランスです。
内側からの写真です。
外側(ベルナード観光通り)からの写真です。
・長崎新聞の記事です。
・長崎市銅座町の「風雲児焼きとり 竜馬」にも寄ってきました。
自分は初めて行ったのですが、店主の河野さんに暖かく迎えてもらいました。
河野さんは、平成元年に風頭に「龍馬像」を建立した「龍馬像を建つうで会」の発起人です。
横須賀の「やきとり 竜馬におまかせ」の店主の斉藤さんから預かった名刺を渡し、近況を伝えたら喜んでおられました。
長崎「風雲児焼きとり」と横須賀「やきとり 竜馬におまかせ」の関係は、龍馬グループのブログ(12月24日付け)をご覧下さい。
・長崎市鳴滝のシーボルト記念館で「シーボルトや龍馬が生きた幕末展」をやってました。
シーボルトと龍馬は、直接会ったことは無かったようです。
・面白い看板がありました。
「海援隊」が「買援隊」
「長崎街道」が「長崎買道」
龍馬グループ坂本です。今年も宜しくお願いします。
「龍馬伝」で主演の福山雅治さんが、大晦日から元旦にかけて頻繁にテレビに出ており、3日からの放送 がワクワクしてきましたが、先週末長崎に帰省しましたので、龍馬関連の長崎情報の報告です。
・長崎市役所に25日(金)私用があったので、用を終えた後、受付から龍馬係長への面会をお願いした ら、あいにく外出中で18時過ぎに携帯に電話があり、1月2日に浜町にオープンする「長崎まちなか龍馬館」の準備で駆け回っています。とのことでした。土曜、日曜も仕事だということだったので、長崎滞在中3回ほど「長崎まちなか龍馬館」(浜町ベルナード観光通りのベスト電器の入っているビルの1階及び地階)に行ってみたのですが、すれ違いで龍馬係長には会うことができませんでした。(残念)
・ベルナード観光通り、「長崎まちなか龍馬館」の様子です。
福山雅治さんが出ているTOSHIBAのCMの垂れ幕と「長崎まちなか龍馬館」の垂れ幕が掛かっていました。
・「長崎まちなか龍馬館」の1階エントランスです。
内側からの写真です。
外側(ベルナード観光通り)からの写真です。
・長崎新聞の記事です。
・長崎市銅座町の「風雲児焼きとり 竜馬」にも寄ってきました。
自分は初めて行ったのですが、店主の河野さんに暖かく迎えてもらいました。
河野さんは、平成元年に風頭に「龍馬像」を建立した「龍馬像を建つうで会」の発起人です。
横須賀の「やきとり 竜馬におまかせ」の店主の斉藤さんから預かった名刺を渡し、近況を伝えたら喜んでおられました。
長崎「風雲児焼きとり」と横須賀「やきとり 竜馬におまかせ」の関係は、龍馬グループのブログ(12月24日付け)をご覧下さい。
・長崎市鳴滝のシーボルト記念館で「シーボルトや龍馬が生きた幕末展」をやってました。
シーボルトと龍馬は、直接会ったことは無かったようです。
・面白い看板がありました。
「海援隊」が「買援隊」
「長崎街道」が「長崎買道」
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22:25
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2009年12月17日
今後の日程
ふかのこうへいです。
在京長崎応援団塾の当面の日程をお知らせします。
重要ですので、必ず読んで、日程厳守をお願いいたします。
1月初~1月25日:草稿の第一次開示
各テーマごとのチームで、完成した草稿の開示を行ってください。
開示方法は以下の2手段です。
その1.ブログに草稿を貼り付けた上で、メンバー全員に開示した旨をメールで伝える。
その2.完成した草稿をワードファイルでメールに添付してメンバー全員に配信する。
1月初~2月1日:25日までに開示された草稿へのコメント
開示された草稿に対し、各メンバーがフレンドリーアドバイスを行ってください。
アドバイスの方法は、各チームごとのブログがありますので、そこに意見やコメントを書き込む形で行ってください。
コメントをもらったチームでは、もらったコメントを参考にして、必要な修正を行います。また、コメントに対する再コメントをブログ上にアップするなど、オープンな形で意見交換することにしましょう。
2月1日:草稿の最終開示期限
1月25日までに草稿の開示が行えなかったチームは、遅くとも2月1日までに草稿を完成させて、開示を行ってください。仮に、2月1日までに草稿の開示を行えなかったチームの原稿は、今回の応援団塾の冊子に掲載できなくなります。期限厳守で宜しくお願いいたします。
2月8日:最終開示期限に開示された草稿に対するコメントの締め切り
1月25日以降に開示された草稿に対するコメントの最終期限です。これ以降のコメントは、反映不可能とお考えください。
2月9日:在京長崎応援団塾会議
コメント内容を最終チェックする会合です。極力ご出席ください。
2月15日:最終バージョンの原稿作成期限
2月8日までに各メンバーからブログに書き込まれた全てのコメントに対し、それを踏まえた修正作業を行う最終期限です。
2月15日の原稿を、そのまま、印刷会社に手渡す予定です。
3月15日頃:冊子の完成
3月20日:長崎伝習所まつり
ということで、どんなに遅れても2月1日までに草稿を完成させていただく必要があります。2月1日が草稿のデッドラインですので、宜しくお願いいたします。
在京長崎応援団塾の当面の日程をお知らせします。
重要ですので、必ず読んで、日程厳守をお願いいたします。
1月初~1月25日:草稿の第一次開示
各テーマごとのチームで、完成した草稿の開示を行ってください。
開示方法は以下の2手段です。
その1.ブログに草稿を貼り付けた上で、メンバー全員に開示した旨をメールで伝える。
その2.完成した草稿をワードファイルでメールに添付してメンバー全員に配信する。
1月初~2月1日:25日までに開示された草稿へのコメント
開示された草稿に対し、各メンバーがフレンドリーアドバイスを行ってください。
アドバイスの方法は、各チームごとのブログがありますので、そこに意見やコメントを書き込む形で行ってください。
コメントをもらったチームでは、もらったコメントを参考にして、必要な修正を行います。また、コメントに対する再コメントをブログ上にアップするなど、オープンな形で意見交換することにしましょう。
2月1日:草稿の最終開示期限
1月25日までに草稿の開示が行えなかったチームは、遅くとも2月1日までに草稿を完成させて、開示を行ってください。仮に、2月1日までに草稿の開示を行えなかったチームの原稿は、今回の応援団塾の冊子に掲載できなくなります。期限厳守で宜しくお願いいたします。
2月8日:最終開示期限に開示された草稿に対するコメントの締め切り
1月25日以降に開示された草稿に対するコメントの最終期限です。これ以降のコメントは、反映不可能とお考えください。
2月9日:在京長崎応援団塾会議
コメント内容を最終チェックする会合です。極力ご出席ください。
2月15日:最終バージョンの原稿作成期限
2月8日までに各メンバーからブログに書き込まれた全てのコメントに対し、それを踏まえた修正作業を行う最終期限です。
2月15日の原稿を、そのまま、印刷会社に手渡す予定です。
3月15日頃:冊子の完成
3月20日:長崎伝習所まつり
ということで、どんなに遅れても2月1日までに草稿を完成させていただく必要があります。2月1日が草稿のデッドラインですので、宜しくお願いいたします。
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15:44
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2009年12月16日
長崎ブランドチームより
皆さんこんにちは。
長崎ブランドチームもブログアップしています。
是非訪問してください!
http://brand.noramba.net/
読者登録&コメントお待ちしています!
リーダーのIさん、皆さん、本日の会議に行けなくなってしまいすみません。
これからも長崎ブランドチームを宜しくお願いします。
(八)
長崎ブランドチームもブログアップしています。
是非訪問してください!
http://brand.noramba.net/
読者登録&コメントお待ちしています!
リーダーのIさん、皆さん、本日の会議に行けなくなってしまいすみません。
これからも長崎ブランドチームを宜しくお願いします。
(八)
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12:21
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2009年12月11日
東京の長崎の長崎出身の大将の店
ふかのこうへいです。
12月17日は、椎名町の「瑞ほ」で長崎をネタに集います。
お店のHPアドレスを紹介します。なかなか美味しそうな店ですね。
http://r.gnavi.co.jp/b813900/
12月17日は、椎名町の「瑞ほ」で長崎をネタに集います。
お店のHPアドレスを紹介します。なかなか美味しそうな店ですね。
http://r.gnavi.co.jp/b813900/
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17:42
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2009年11月19日
東京の長崎で呑む企画
深野です。
既に皆さんにお知らせした、東京の長崎(椎名町界隈)で呑む企画です。椎名町の北側(住居表示は豊島区長崎)に「みずほ」(電話03-5995-1419)という居酒屋があって、そこの大将は長崎出身だそうです。そこで、在京長崎応援団の有志が東京の長崎で長崎出身の大将の料理で酒を呑もう!ということになりました。
ところが!当初計画していた12月7日は店の定休日だそうで、開催日を12月17日に変更いたします!
12月17日の午後7時に椎名町駅北口改札口に集合してください(池袋から西武線で1つ目の駅)。そこから歩いてスグです。小さい店なので、あっという間に一杯になってしまいそうです。参加を希望される方は、このブログに「参加」とコメントを書き込んでいただけると幸甚です。
なお、当日はゲストとして、長崎のもってこい寄席と交流している、東京の「長崎寄席」の世話人の方も参加が予定されております。益々盛り上がりそうですね。
ここで、一つ紹介です。
長崎と縁が深い東京の「長崎寄席」では、11月28日に桂才賀さん、三遊亭歌武蔵さんを招いて寄席を開催するそうです。場所はひびきホール(東長崎駅下車徒歩4分のタローズハウス3F)、開場17:30~、開演18:30~。お問い合わせは、080-6519-5507柴田様まで!柴田さんが17日に我々の会に参加されそうです。
なお、在京長崎応援団塾の次回会合は12月16日19:00~、市政会館5Fです。こちらも宜しく。
既に皆さんにお知らせした、東京の長崎(椎名町界隈)で呑む企画です。椎名町の北側(住居表示は豊島区長崎)に「みずほ」(電話03-5995-1419)という居酒屋があって、そこの大将は長崎出身だそうです。そこで、在京長崎応援団の有志が東京の長崎で長崎出身の大将の料理で酒を呑もう!ということになりました。
ところが!当初計画していた12月7日は店の定休日だそうで、開催日を12月17日に変更いたします!
12月17日の午後7時に椎名町駅北口改札口に集合してください(池袋から西武線で1つ目の駅)。そこから歩いてスグです。小さい店なので、あっという間に一杯になってしまいそうです。参加を希望される方は、このブログに「参加」とコメントを書き込んでいただけると幸甚です。
なお、当日はゲストとして、長崎のもってこい寄席と交流している、東京の「長崎寄席」の世話人の方も参加が予定されております。益々盛り上がりそうですね。
ここで、一つ紹介です。
長崎と縁が深い東京の「長崎寄席」では、11月28日に桂才賀さん、三遊亭歌武蔵さんを招いて寄席を開催するそうです。場所はひびきホール(東長崎駅下車徒歩4分のタローズハウス3F)、開場17:30~、開演18:30~。お問い合わせは、080-6519-5507柴田様まで!柴田さんが17日に我々の会に参加されそうです。
なお、在京長崎応援団塾の次回会合は12月16日19:00~、市政会館5Fです。こちらも宜しく。
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11:39
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2009年11月10日
「都立旧岩崎邸庭園」での田中健さんのコンサートに行きました。
龍馬グループの浜野・坂本が「都立旧岩崎邸庭園」(台東区池之端)に行きました。
来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」は、三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」(高知県安芸市出身)の視点から描かれるものです。弥太郎と長男久弥の岩崎家茅町本邸は現在「都立旧岩崎邸庭園」として公開されています。
11月7日に俳優であり、ケーナ(南米発祥の縦笛)奏者の田中 健さんのミニコンサートがありました。
田中健さん:http://www.toho-talent.com/ken/quena.html
ピアノは羽仁知治さん:http://blog.livedoor.jp/waniwani820/
当日は真っ青な快晴、微風。大きな樹木に囲まれた芝庭に響くケーナの柔らかい音色に癒され、ゆったり心地よい時を過ごしました。
田中 健さんは、26年前にペルーのマチュピチュを旅した時、何気なく聞いたケーナに魅了されたそうです。それ以来ずーっと独学で続けておられるそうです。目指すのは「コンドルは飛んで行く」をコンドルが悠然と飛ぶように吹きたいとのことですが------。
”コンドルはなかなか飛ばない” ”音が出せるまでに3年かかった” 等と語っておられました。
旧岩崎邸の洋館は、イギリス人のジョサイア・コンドルの設計です。コンドルが設計した洋館のベランダで「コンドルは飛んで行く」の演奏に呼応するように、青い空にカラスや鳩が舞っていました。
旧岩崎邸庭園では春(4月から6月)、秋(9月から11月)の毎週土曜日に東京芸術大学出身の演奏家を中心にしたミニコンサートを開催しているそうです。
今回は、俳優でもあり知名度のある田中 健さんのコンサートということで、約300の椅子席は時間前に満席、芝生用に用意された座布団約300枚もすぐになくなり、大勢の立見の方も出る人気でした。
旧岩崎邸庭園の建物については、「坂本龍馬について」のブログに別途レポートします。
来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」は、三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」(高知県安芸市出身)の視点から描かれるものです。弥太郎と長男久弥の岩崎家茅町本邸は現在「都立旧岩崎邸庭園」として公開されています。
11月7日に俳優であり、ケーナ(南米発祥の縦笛)奏者の田中 健さんのミニコンサートがありました。
田中健さん:http://www.toho-talent.com/ken/quena.html
ピアノは羽仁知治さん:http://blog.livedoor.jp/waniwani820/
当日は真っ青な快晴、微風。大きな樹木に囲まれた芝庭に響くケーナの柔らかい音色に癒され、ゆったり心地よい時を過ごしました。
田中 健さんは、26年前にペルーのマチュピチュを旅した時、何気なく聞いたケーナに魅了されたそうです。それ以来ずーっと独学で続けておられるそうです。目指すのは「コンドルは飛んで行く」をコンドルが悠然と飛ぶように吹きたいとのことですが------。
”コンドルはなかなか飛ばない” ”音が出せるまでに3年かかった” 等と語っておられました。
旧岩崎邸の洋館は、イギリス人のジョサイア・コンドルの設計です。コンドルが設計した洋館のベランダで「コンドルは飛んで行く」の演奏に呼応するように、青い空にカラスや鳩が舞っていました。
旧岩崎邸庭園では春(4月から6月)、秋(9月から11月)の毎週土曜日に東京芸術大学出身の演奏家を中心にしたミニコンサートを開催しているそうです。
今回は、俳優でもあり知名度のある田中 健さんのコンサートということで、約300の椅子席は時間前に満席、芝生用に用意された座布団約300枚もすぐになくなり、大勢の立見の方も出る人気でした。
旧岩崎邸庭園の建物については、「坂本龍馬について」のブログに別途レポートします。
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22:00
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2009年11月10日
東京の長崎チームからのお知らせ
皆さん、達者していますか。ふかのこうへいです。
東京にあった長崎の兄弟!チームからのお知らせです。
豊島区東長崎で聞きつけた「長崎出身のオヤジがやっている居酒屋」で長崎をネタに酒を飲むプランをたてました。「みずほ」という店です。
集合場所は、椎名町駅北口改札をでたところ(池袋から西武線で1つめの駅だったと思います)。
集合時間は12月7日、19時頃です。
もちろん、遅れての参加も大歓迎です(深野の携帯まで電話いただければお迎えにあがります)。
皆さん、当日ドタ参加でも構いませんが・・・その可能性がある方は事前に深野まで・・携帯番号をお教えします・・現時点で出席を希望される方は、このブログにレスポンスされるか、または深野までメールをください。
今のところ参加が確実なのは、深野とルポ担当前田さんだけなので・・・。多数のご参加、とはいってもたくさん入れる店ではないかもしれませんが、期待しています。
東京にあった長崎の兄弟!チームからのお知らせです。
豊島区東長崎で聞きつけた「長崎出身のオヤジがやっている居酒屋」で長崎をネタに酒を飲むプランをたてました。「みずほ」という店です。
集合場所は、椎名町駅北口改札をでたところ(池袋から西武線で1つめの駅だったと思います)。
集合時間は12月7日、19時頃です。
もちろん、遅れての参加も大歓迎です(深野の携帯まで電話いただければお迎えにあがります)。
皆さん、当日ドタ参加でも構いませんが・・・その可能性がある方は事前に深野まで・・携帯番号をお教えします・・現時点で出席を希望される方は、このブログにレスポンスされるか、または深野までメールをください。
今のところ参加が確実なのは、深野とルポ担当前田さんだけなので・・・。多数のご参加、とはいってもたくさん入れる店ではないかもしれませんが、期待しています。
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10:11
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2009年11月05日
11月18日は応援団塾の会合です
11月18日は、19:00~、いつもの市政会館5Fの会議室でミーティングを行い、その後、居酒屋にて懇親会を行う予定です。
皆さん、お忙しいとは思いますが、11月9日までに、深野まで、会議への出欠と、懇親会の出欠をそれぞれメールにてご回答ください。
(例)会議:出席 懇親会:欠席 長崎太郎
てな感じでお願いしますねっ
皆さん、お忙しいとは思いますが、11月9日までに、深野まで、会議への出欠と、懇親会の出欠をそれぞれメールにてご回答ください。
(例)会議:出席 懇親会:欠席 長崎太郎
てな感じでお願いしますねっ
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11:59
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2009年11月03日
風頭公園の愛称を「風頭・龍馬公園」にして欲しいなあ !?
龍馬グループ坂本です。
高知桂浜公園にある龍馬像横に龍馬像と同じ高さの特設展望台を設置する「龍馬に大接近」が10月17日から12月6日まで開催されているそうです。入場料は¥100(高校生以下無料)で、龍馬の目線で太平洋を眺められ、龍馬像の横顔を間近に観る事ができるようです。
「月の名所の桂浜」の夜景を楽しめるように、満月の時期に合わせ10月29日から11月3日は夜9時までの営業だとか。
龍馬に大接近:http://www.welcome-kochi.jp/event/ryoma/daisekkin.html
10月26日(月)「龍馬伝サミット」(品川プリンスホテル)でNHKチーフプロデューサー鈴木 圭氏から「龍馬に大接近は、非常にいい企画と思いますので常設・通年営業にしたらいいのでは」との賛辞の言葉がありました。高知市長から「地盤の関係で期間限定にしています」との答えでした。
*鈴木氏は今年10月展望台を訪れられており、「龍馬伝」に合わせて企画されたものとの認識だったようですが、「龍馬に大接近」は1993年から龍馬の誕生日であり命日でもある11月15日を挟んで毎年開催されています。
桂浜の龍馬像は建立80周年、長崎風頭公園の龍馬像は建立20周年。大きさも桂浜の龍馬像は、13.5m(像本体は5.3m)風頭の龍馬像は4.8m(像本体は3m)で桂浜には及びませんがーーーー。
風頭山は標高151.9m、龍馬像も高地にあるため特に長崎港から女神大橋方向の眺めは、司馬遼太郎「竜馬がゆく」の気分になって「長崎は、わしの希望じゃ」「やがては日本回天の足場になる」と叫びたくなる眺望。
風頭公園:http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/kouen/search/parksrc.php?mno=1&parkno=132
来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」を期に、風頭公園の愛称を「風頭・龍馬公園」にして欲しいなあと思いますがーーー。
平成15年11月15日に「高知空港」の愛称を「高知龍馬空港」にしたお手本もありますよね。
高知桂浜公園にある龍馬像横に龍馬像と同じ高さの特設展望台を設置する「龍馬に大接近」が10月17日から12月6日まで開催されているそうです。入場料は¥100(高校生以下無料)で、龍馬の目線で太平洋を眺められ、龍馬像の横顔を間近に観る事ができるようです。
「月の名所の桂浜」の夜景を楽しめるように、満月の時期に合わせ10月29日から11月3日は夜9時までの営業だとか。
龍馬に大接近:http://www.welcome-kochi.jp/event/ryoma/daisekkin.html
10月26日(月)「龍馬伝サミット」(品川プリンスホテル)でNHKチーフプロデューサー鈴木 圭氏から「龍馬に大接近は、非常にいい企画と思いますので常設・通年営業にしたらいいのでは」との賛辞の言葉がありました。高知市長から「地盤の関係で期間限定にしています」との答えでした。
*鈴木氏は今年10月展望台を訪れられており、「龍馬伝」に合わせて企画されたものとの認識だったようですが、「龍馬に大接近」は1993年から龍馬の誕生日であり命日でもある11月15日を挟んで毎年開催されています。
桂浜の龍馬像は建立80周年、長崎風頭公園の龍馬像は建立20周年。大きさも桂浜の龍馬像は、13.5m(像本体は5.3m)風頭の龍馬像は4.8m(像本体は3m)で桂浜には及びませんがーーーー。
風頭山は標高151.9m、龍馬像も高地にあるため特に長崎港から女神大橋方向の眺めは、司馬遼太郎「竜馬がゆく」の気分になって「長崎は、わしの希望じゃ」「やがては日本回天の足場になる」と叫びたくなる眺望。
風頭公園:http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/kouen/search/parksrc.php?mno=1&parkno=132
来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」を期に、風頭公園の愛称を「風頭・龍馬公園」にして欲しいなあと思いますがーーー。
平成15年11月15日に「高知空港」の愛称を「高知龍馬空港」にしたお手本もありますよね。
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2009年10月29日
「龍馬伝サミット」に参加しました
10/26(月)14:00~17:00品川プリンスホテルで開催された「龍馬伝サミット」(龍馬伝関係自治体首脳会議)に龍馬グループの浜野、坂本が参加しました。 報道陣も多く400名位の会場が満員でした。
「龍馬伝」製作統括のNHKチーフプロデューサー鈴木圭氏の基調講演、各自治体首脳による龍馬とのゆかり・取組みの紹介がありました。
下記参加自治体の①から⑨は龍馬が生まれ、訪れた場所の時代順です。
安芸市は岩崎弥太郎の生誕地、阪神タイガースのキャンプ地でもあります。
前列左から:①高知市長 ②安芸市長 ③品川区長 ④下関副市長 ⑤京都市長 ⑥長崎市長 ⑦鹿児
島市長 ⑧霧島市長 ⑨福山市長
長崎 田上市長のプレゼンテーションは、冒頭に多くの帆船で賑わっている長崎港の古写真を映しながら、「龍馬の声」を流しました。
龍馬の声は写真の骨格をもとに創作したものだそうです。
他の自治体のプレゼンテーションが力が入りすぎ、やや冗長になる感があるなか、田上市長は的を射た内容でした。
京都からは舞妓さんも駆けつけました。
鈴木チーフプロデューサーからは、脚本家の福田靖さんの言葉として、「渋谷を歩いているヤングにも分かる龍馬伝を」ということでした。
京都の門川市長からは、平成12年に計画した「平成22年までに入洛観光客数5000万人」の目標を2年早く平成20年に達成。外国人宿泊客数も5年間で倍増し約94万人になったとの発表がありました。
霧島市の前田市長は自らデザインした派手な法被(霧島の観光地、名産などが描かれている)をはおり、鈴木氏に龍馬と妻お龍が新婚旅行で訪れた塩浸温泉の入浴シーンを是非ドラマの中に入れて欲しい!!! と熱烈に懇願されていました。
たいへん元気な市長さんでした。
参考:龍馬が寺田屋で襲われ傷を負ったあと、西郷隆盛や小松帯刀の薦めにより薩摩・霧島方面への旅を
「日本最初の新婚旅行」と言われており、霧島市では「龍馬ハネムーンロードを歩こう」が11/14(土)
11/15(日)に実施されます。
「龍馬伝」製作統括のNHKチーフプロデューサー鈴木圭氏の基調講演、各自治体首脳による龍馬とのゆかり・取組みの紹介がありました。
下記参加自治体の①から⑨は龍馬が生まれ、訪れた場所の時代順です。
安芸市は岩崎弥太郎の生誕地、阪神タイガースのキャンプ地でもあります。
前列左から:①高知市長 ②安芸市長 ③品川区長 ④下関副市長 ⑤京都市長 ⑥長崎市長 ⑦鹿児
島市長 ⑧霧島市長 ⑨福山市長
長崎 田上市長のプレゼンテーションは、冒頭に多くの帆船で賑わっている長崎港の古写真を映しながら、「龍馬の声」を流しました。
龍馬の声は写真の骨格をもとに創作したものだそうです。
他の自治体のプレゼンテーションが力が入りすぎ、やや冗長になる感があるなか、田上市長は的を射た内容でした。
京都からは舞妓さんも駆けつけました。
鈴木チーフプロデューサーからは、脚本家の福田靖さんの言葉として、「渋谷を歩いているヤングにも分かる龍馬伝を」ということでした。
京都の門川市長からは、平成12年に計画した「平成22年までに入洛観光客数5000万人」の目標を2年早く平成20年に達成。外国人宿泊客数も5年間で倍増し約94万人になったとの発表がありました。
霧島市の前田市長は自らデザインした派手な法被(霧島の観光地、名産などが描かれている)をはおり、鈴木氏に龍馬と妻お龍が新婚旅行で訪れた塩浸温泉の入浴シーンを是非ドラマの中に入れて欲しい!!! と熱烈に懇願されていました。
たいへん元気な市長さんでした。
参考:龍馬が寺田屋で襲われ傷を負ったあと、西郷隆盛や小松帯刀の薦めにより薩摩・霧島方面への旅を
「日本最初の新婚旅行」と言われており、霧島市では「龍馬ハネムーンロードを歩こう」が11/14(土)
11/15(日)に実施されます。
Posted by 在京長崎応援団塾 at
00:16
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2009年10月24日
10月15日の会合レポート
皆様たいへんおまたせいたしました。
先日の会合の模様をようやく準備できましたので、ブログにUPいたします!
今回はいつもと違い、特別に壱岐料理を食べながらの会合です。
【カフェ トリオンプ】での会合になりました。
新鮮なお魚や旬の素材が満載です!
焼き目を付けた鯛が丸ごと1匹!
店員の方に常に気を配っていただき、本当にありがとうございました。
多少、酔っておられる方もいらっしゃいましたが、、、(笑)
もちろんしっかりと各塾生からのレポート発表がありました。
塾長も少しほろ酔いでしょうか(笑)
市政の方や総務省の方にもご参加頂き、長崎市の市政や
イベントについてもご説明いただきました。
塾生からの激しいつっこみがある場面も。
もちろん、終始和やかな様子でした。
最後は平山旅館の女将と酒井さんのご挨拶でしめていただきました。
皆様、お疲れ様でした!
先日の会合の模様をようやく準備できましたので、ブログにUPいたします!
今回はいつもと違い、特別に壱岐料理を食べながらの会合です。
【カフェ トリオンプ】での会合になりました。
新鮮なお魚や旬の素材が満載です!
焼き目を付けた鯛が丸ごと1匹!
店員の方に常に気を配っていただき、本当にありがとうございました。
多少、酔っておられる方もいらっしゃいましたが、、、(笑)
もちろんしっかりと各塾生からのレポート発表がありました。
塾長も少しほろ酔いでしょうか(笑)
市政の方や総務省の方にもご参加頂き、長崎市の市政や
イベントについてもご説明いただきました。
塾生からの激しいつっこみがある場面も。
もちろん、終始和やかな様子でした。
最後は平山旅館の女将と酒井さんのご挨拶でしめていただきました。
皆様、お疲れ様でした!