2010年02月12日
研究成果報告書・各論および感想部分
ふかのこうへいです。
皆様から寄せられた研究成果報告書のサマリーと感想の最新版を以下に掲載します。
皆様、これで間違えないかご確認下さい。
1.長崎への質問
宮崎 陽世
和華蘭町といわれていますが、長崎県内で育った人でも簡単には理解できないのが長崎の町。そんな町を東京から見ていると、尚一層不思議な町に思える。最初は長崎を知らない自分に気付くことから始まった。であれば、知っている方に聞いてみようということで、4名が、長崎への質問グループを形成した。
前半は4名での長崎の不思議についての議論とアンケート調査結果、さらに応援団塾のメンバーからいただいた情報を合わせて、長崎人の特性らしきものを抽出した。
後半は、その根底にあるものを探るために、長崎の歴史、特に鎖国の前後に焦点を当て、学習した。出てきた疑問を明らかにし、さらに長崎を実感するために、現地にも赴き、取材した。歴史上の文化や制度の中で、長崎人の価値観形成に最も影響を与えたと思われるものを特定し、さらに詳しく、学習した。
最後に今後の長崎に求められる行動特性と期待される人材像を明らかにした。
今回は既存のネット上や書籍などの情報にできるだけ頼らず、自分たちが行動し、実際に見聞きした情報と感じたことにこだわった。情報が不足しているところ、分析が不十分なところも多い。その分稚拙になっている所も散見される。
福田さんはFAXによるアンケートで、九州男児と長崎男児を違いを明らかにした。
川辺さんはアンケートと合わせて、長崎で体験したことをディスカッションで明確に主張し、長崎人の行動特性として明らかにした。
橋本さんはディスカッションをまとめ、文章を校正し、今後の長崎の可能性対して提言した。
2.外から見る長崎
東京と長崎の違いから見える「長崎らしさ」とは
田尾 正行
長崎の高校を卒業し、東京の大学に進学してから30数年。今ではなんの疑問もなく普通に生活しているが、上京したての頃は、長崎との違いに戸惑ったものだ。「何ね?このうどん、真っ黒やかね。こがんと食べられんばい。」いまだに食べない。(笑)
ある時、「かぶり」という習慣がネット上で話題となった。長崎では当たり前だが、こちらでは「持ち帰り」以外の「言葉」がない。「そんな食べ残しを持ち帰るなんて」というのが常識のようだ。しかし長崎には「かぶり」という言葉が存在し、宴会の後、残ったものは「かぶり」にするのが常識である。当然のことだが、習慣、文化、言葉等、東京と長崎では様々な事象が違う。「何故違うのか」その違いを考えることで、長崎に居ては気づかない、長崎らしさを見つけられないだろうかというのが、今回のテーマである。
江戸時代、唯一海外との窓口となっていた長崎、幕府直轄という特殊な地域で外国人と接していたということから、他の日本人とは違う何かがあったのではないだろうか。
身分の上下、席の上下に厳しかった江戸時代に、何故卓袱料理は円卓だったのか。お墓で宴会をし花火を鳴らす、東京人からすると「罰あたり」(笑)な習慣は何故なのか。
長崎では当たり前でも、他所から見れば不思議な事柄。その「長崎らしさ」には「共通性」があるのではないか。またそれが、長崎をアピールする材料となるのではないかと考えてみた。
3.小説から読む幕末の長崎像
齋藤 和彦
歌に映画にテレビドラマにと、長崎ほどメディアに紹介される観光都市は他に例がなく、遠い異国のエキゾチックな港町としてのイメージが伝えられてきた。中でも、文学においては、純文学から娯楽小説、随想まで、視覚にとらわれない無限の想像の世界を読者にあたえ続けている。近年の、さだまさしの作品や、長崎を舞台にしたなかにし礼の“長崎ぶらぶら節”、遠藤周作の“沈黙“、”女の一生“などによって、長崎への憧憬をもった多くの読者が、そのまま旅人となって長崎を訪れている。
今回のレポートをまとめるにあたり、最初に考えたのは、はたして純文学が史実に基づいたもので、娯楽小説が作者の想像によるフィクションばかりか、などという議論はともかく、今の時代にどれだけの影響力を、その作品が与えているかということであった。当初は様々な作品を比較対象とする方法をとろうと模索したが、単純に発行部数の多さから、文庫書き下ろしでベストセラー作家となっている、佐伯泰英の“交代寄合伊那衆異聞”をレポートの題材とすることにした。
物語のあらすじは、信州伊那にわずかな所領を与えられた直参旗本ながら、徳川幕府との密約を持つ座光寺家当主となった若き主人公、座光寺藤之助為清が、信州伊那から江戸そして長崎、上海へと、安政の大地震(1855 年)直後の幕末を舞台に、自らの人生と時代を切り開いていくというものだ。物語を読むうちに、さながら、主人公と共にその時代に旅をしているような錯覚に陥るほど引き込まれて行く。主人公と登場人物を通して語られる当時の長崎像を拾い出し、そんな中から現代に通じる長崎像、長崎人気質を感じていただければと思っている。
シリーズは現在第11 巻まで発刊され、現在更に継続中。長崎が主な舞台となるのは、第3 巻から第9巻あたり。講談社刊、佐伯泰英 著 文庫書下ろし “交代寄合伊那衆異聞“シリーズ。
4.長崎に単身赴任してみて~長崎雑感
川村 雅昭
2004年2月から2006年3月まで約2年間、銀行の転勤で長崎に単身赴任した。東京生まれ東京育ち、働き始めてからは、首都圏以外では大阪、仙台での勤務はあったが、九州は初めて。単身赴任も初めてだった。
子供たちは当時中学生2人と小学生1人。毎年大きくなって、ウサギ小屋のようなマンションが手狭に感じ始めた頃だったので、家族は自分の居場所が広くなると喜んだものだ。一方の自分も、頭取が聞いたら怒ると思うが、観光地での長期滞在型リゾート気分で赴任した。そして長崎での2年間は本当に楽しかった。
赴任早々の春休みに家族を呼んで、ハウステンボスに遊びに行き、「くんち」はカミサンと諏訪神社の桟敷で見物、2度目の正月は家族と長崎で迎えた。
こう書くと、本当に遊んでばかりで仕事をしてなかったと思われてしまうかもしれないが、仕事も遊びも楽しくやったと言うのが本心だ。もちろん仕事帰りには美味しい魚で、一杯(いっぱい)やったが。
そんな生活の中で、長崎の方には当たり前、あるいは意識していないかなと思われたことを少しだけ記してみたい。
5.「御鰭(おひれ)をどうぞ・・」
薫り立つ 長崎料亭文化
上野 史禮
10年前、長崎で初めての「料亭での宴」「御鰭をどうぞ」料亭の女将(おかっつあま)のこの言葉から、この「宴」が始まる。乾杯も挨拶もないままに、客である私たちは、戸惑いながらも椀のお吸いもの「御鰭」を静かに頂く。座敷の誰も語らず、粛々と、客の「椀」を啜る音だけが響く。何とも奇妙でありながら、長崎の歴史の薫りにあふれる「宴」の始まりである。
転勤してきた長崎で、初めての「料亭の宴」実に印象深いものだった。長崎の街になじんで行くうちに、丸山界隈を中心に、ここそこに「料亭」が脈々と生き、そこに「花街の文化」が息づいていることに気づく。この料亭と芸子衆が織りなす「長崎料亭文化」に接する折折、「うれしい異空間」の素晴らしさを、感じないではいられなかった。
外国文化の日本唯一の窓口として、異文化が花開き、それゆえもあって、裕福な街として繁栄してきた長崎。そういった歴史あったればこそ、この「長崎料亭文化」が生まれた。 より多くの人に、この素晴らしさを知ってほしい、体験して欲しい、長崎から、この「すばらしい文化」をたくさん発信して欲しい、との思いから、レポートに取り組んだ。
平成20年12月。久々に、東京から長崎に飛び、「料亭春海」で、芸子衆と一緒に「遊食」を楽しだ。久々の「料亭文化」に接した。ゆったりとした「長崎時間」が、夜の帳とともに進んでいった。「卓袱料理」「長崎ぶらぶら節」「浜節」「手あそび」・・・ あっという間の3時間余りが、過ぎていった。悠揚とした満足のまま、料亭の石畳を下った。
6.ふるさと納税で長崎を応援する!
船越 弘文
生まれて以来ずっと長崎市に住んでいると、「ふるさと」という言葉に反応することは稀かと思うが、高校を卒業して以降、長崎市を離れて生活をしている者からすると、長崎市は「ふるさと」以外の何物でもない。加えて、年齢もそこそこになってくると、この「ふるさと」という言葉は何とも言えない郷愁を感じさる。そんな親父達の心を揺さぶる制度が、「ふるさと納税」である。
私は、「在京応援団塾」に参加するにあたり、自慢ではないが、この研究テーマは格好のテーマだと考えた。「ふるさと納税で長崎を応援する!」なんて、最高の名称だと思いませんか?
思いは良し、さらに、保科さんという地方自治のプロも一緒に研究して頂けるという幸運を得てスタートを切ったが、実際に研究を始めると、色々な苦労に遭遇した。 その一部は原稿の中にも紹介しているが、やってみて発見することの連続であった。
そういう苦難の末に完成した原稿なので、出来栄えの評価は読者の皆様の判断にお任せしたい。しかし、この塾の面白さは研究の結果を得ることだけではない。活動を進めるなかで、保科さんを始めとする塾生の皆さんや、長崎市役所の方々、アンケート先自治体の関係の方々など、多くの方々のお世話になった。社会人になると、仕事以外でこうした人と人との新たで緊密な繋がりを持てる機会は殆どない。一年間の活動を振り返ってみて、こうした機会を持てたことこそ、この塾の醍醐味であったと実感している。この冊子を通じて、こうした醍醐味が少しでも皆さんと共有できれば幸いである。
7.長崎ブランドの現状と提言
石橋 佳之夫
長崎には、全国的にアピールできる商品やサービスがあるはずであるが、ブランドの活かし方が下手な地域である、といった指摘があったため、長崎ブランドの現状を把握し、その上で何か提言できればいいなと考えてスタートした。
スタートして直ぐにわかったことは、なるほど長崎には全国に誇れるような産品がありながら、県外の産地にOEMのような形で供給されている事実があることであった。
地域団体商標の登録件数も他の都道府県と比較すると少ない。
誇りを持って長崎ブランドを全国に広めてほしいといいたい。
われわれ長崎ブランド塾の活動は、当初インターネットを利用した、登録商標の調査、地域団体商標を出願している団体の活動に関する調査などが中心であった。
これに加えて、日常生活の場でもアンテナを張り、遭遇する情報の中に長崎ブランドにつながるものがあればそれを取り上げ、事業の実態、そのブランド保護に対する意識のレベル、商標登録の有無などの実態を把握し、その結果に基づき、長崎ブランドをより活性化するための提言をまとめた。
調査した結果と提言は、在京長崎応援団塾のブログに掲載した。
今後も継続して長崎ブランドに関する検討の機会があるとすれば、ブログを中心に多くの人たちを巻き込んだ議論、あるいは8人程度のメンバーによるブレイン・ストーミングで、効果的な提言をまとめるようにしては、と考えている。
8.人と組織の力をアップするには
吉居 浩二
長崎にゆかりがある関東在住者として、ビジネスであれスポーツの世界であれ、長崎の方達やチームが活躍するのを見聞きすることは、大いに勇気付けられる。
今度は私たちで何か長崎の方たちを応援出来ることがないかということで、表題をテーマとしてレポートをつくった。
内容は、三部構成とした。第一部は、人や組織の力を高める仕組みを俯瞰するため、高める要因を整理しつつ体系図としてまとめた。更に、その中で重要な要因に対して解説を加えた。
第二部は、テーマに合致すると判断した図書を紹介した。図書には、長崎県人倶楽部の機関誌も入れ、その中で紹介されていた春の選抜高校野球で長崎初の優勝に導いた清峰高校野球部の吉田監督の言葉も紹介した。
第三部は、現在東京在住だが、かって長崎にある企業等の組織でリーダーとしてご活躍された方の座談会を設定し、長崎の方たちの気質を踏まえ、力をアップするための提言をまとめた。
本テーマは永遠のテーマであり、簡単に語りつくせるものではないが、力をアップするために過去からのセオリーを知り、第三部にまとめたように、現状を照らしてみることで、新たな行動が見えてくると思う。
僭越なレポートになったが、テーマが長崎在住の方たちに役立ち、且つ関東との、情報交換の機会になれば幸いである。
最後に、関東の伝習塾で、本テーマで自由に活動させて頂いたことを、長崎を思うメンバー4名を代表して感謝したい。
9.映像を活かした長崎の魅力発信
関根 留理子
地形、風土そして歴史とどれをとっても、唯一無二の魅力ある街・長崎。昔から、そんな長崎を舞台にした映画やドラマがたくさん撮影されているが、それをあまり活かしきれていない。ここ数年では、映画やドラマを誘致して、地域の観光や産業へつなげようと活動する地域も多い中、長崎ではあまりこのような取り組みを見受けられない。どうやって活用していくべきなのか、検証してみた。
事実、長崎という街は、とても恵まれている。同じ人口45万ほどの他都市と比べても、知名度は飛びぬけて高い。そのため、撮影に来る映像制作者は後を絶たない。他都市がロケ誘致に力を入れる中で、黙っていてもロケが来るとてもありがたい地区だ。
しかし、撮影が多いが故、撮影される作品を観光に活かしていく準備ができず、映画の公開やドラマの放送を迎えてしまう。
昨今、長崎市ではNHKの大河ドラマ「龍馬伝」で盛り上がっているように、映像と観光をつなげるためには、大々的に取り組み、地域を上げて盛り上げることが必要で、作品がヒットしてから取り掛かるのでは遅い。しかし、そのためには予算や人の確保も必要であり、全ての作品に対応するのも難しい。
まずは出来ることからと考えた時、長崎には、全国が注目し、マネをしている素晴らしい観光ツールがあることに気がつく。いまやその言葉さえ、全国的に使われるようになった「さるく観光」。
長崎らしい、人のコミュニケーションで成り立つさるくの映像版が、まずは長崎市のフィルムツーリズムの一歩になるのではないだろうか。
10.オペラ“蝶々夫人”を長崎の観光の目玉にし、長崎の活性化を図る
山口 義人
長崎が舞台の世界的に有名なプッチーニのオペラ「蝶々夫人」の毎週上演を長崎観光の目玉とし、世界各地から観光客を呼び寄せようというプロジェクトである。
これには、専門のオペラ劇場を作ろう、というアイデアも入っている。
有力な実例として、能登半島の七尾市は、人口6万弱の小都市ながら、総工費27億円で650席の立派な「能登演劇堂」を作り、仲代達也主演のシェークスピアの「マクベス」を、まさに年50回、上演し、日本各地からバスで観客を集め、町起しの目玉としている。http://www.engekido.com/sisetsu.html
同様な、オペラハウスを長崎は持つ資格がある。
幸い、沢山の歴史、文化を背景に持った、美しい港町長崎は、世界遺産候補、長崎のキリスト教教会群もあり、東洋でのキリスト教巡礼地になれるし、これに、オペラ“蝶々夫人”の観劇という目玉が加われば、まさに長崎は東洋一の観光地となると思う。
現在イタリアで大活躍中の、岡村喬生氏の脚本を、長崎版 “蝶々夫人”の定番とし、出演者はボランティア的要素で長崎在住者を中心に、大学、中高の音楽教師、学生から募集、格安でオペラ蝶々夫人を上演する。年間50回開催の、上演費約1億7.500万円を、平均入場者700-800人、入場料4500円で集め、広告費収入と合わせ、収支合い償う事業とする。現在年50隻入港している、観光船船客中心に観客動員を図り、年間上演予定を組む。
11.坂本龍馬について
坂本 貞好
2010年のNHK大河ドラマは長崎にも深い縁がある三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」の視線を通して描かれた「龍馬伝」。主演は長崎出身の福山雅治さん。
坂本龍馬については、昭和43年(1968)にも司馬遼太郎原作の「竜馬がゆく」がNHK大河ドラマで放送されていますが、視聴率は低迷し歴代大河ドラマではビリから2番目の14.5%であった。
2008年に「龍馬伝」の放送が決定し、主演の龍馬役に福山さんが抜擢されたこともあり、長崎では観光客誘致の企画が目白押しで既に大きな盛り上がりを見せていますが、我々メンバー3名は、龍馬ファンということではなく、「龍馬伝」放送を機会に龍馬関連の場所を訪ねたり、情報を収集し龍馬についての知識を深めて、一年間「龍馬伝」を楽しもうということがテーマにした大きな動機である。
訪ねた場所や関連行事への参加レポート等を自由に気楽にブログへ掲載するなど「龍馬伝」を通して長崎への関心を持ってもらい、結果的に長崎への観光客の増加に繋がることを期待しつつ活動してきた。
メンバーは、勤務先及び住居が東京、相模原、1名は長崎と東京を行き来しているということで3名揃っての行動は困難なため、「在京長崎応援団塾」の全体会合やメールなどで情報を交換しながら活動してきた。
「龍馬伝」の長崎時代の放送は、7月頃からということなので、引き続き「龍馬」を追いかけ“「龍馬伝」と長崎を盛り上げよう!”に繋げていきたいと思っている。
12.東京にあった?長崎の兄弟!
深野 浩平
われわれ4人は、東京の中にある長崎の「ゆかり」を探し出してガイドすることを目的に活動を行った。まずは、東京都豊島区に「長崎」という地名があるので、九州の長崎との関連がありや?なしや?の調査から。
参考文献をあたるばかりでなく、東京の「長崎神社」の秋の大祭を見学したり、東京の長崎にある長崎出身の大将がやっている居酒屋に集ったり・・・。調査というより遊びである。その結果、残念ながら、東京の長崎と九州の長崎の関連を証拠付ける歴史的なDNAは発見できなかった。しかし一方で、長崎大水害の際の心温まるエピソードや、東西の長崎で十数年前から今もなお続いている「寄席」の交流など、同じ名前であるが故の繋がりは発見できた。
さらに視野を東京全体に広げると、長崎の「ゆかり」が其処此処に散らばっていることがわかった。都内の博物館に収容されている数多くの文化財。幕末に長崎に登場した偉人の足跡。キリシタン弾圧の舞台となった場所。原爆という悲しい歴史を2度と繰り返さないためのモニュメントなど。そんな東京にある長崎の「ゆかり」を集めて、写真と一筆書きで紹介もしてみた。なお、東京で評判のちゃんぽん屋とか、長崎の食材を使った料理屋など、他にも興味ある「ゆかり」はたくさんあるのだが、全てを紹介できなかったのは残念であった。東京にそれほど多くの「ゆかり」があるとは、さすが長崎!である。
長崎出身・東京在住の方が故郷を思い起こすのに、また、これから長崎に旅行する方、転居する方が事前の予習をするのに、この拙稿が少しでも役に立てれば幸甚である。
13.東京発!長崎市観光誘致を考える!
宮嶋 淳一
長崎市への観光客は、平成18年の570万人をピークに下降気味である。長崎市周辺には多くの観光資源がありながらも、実際には活用されてない、上手にPRできてはいないのではないか。また、他県の観光都市はどのような集客をしているのか。われわれは在京長崎応援塾らしく、関東周辺からいかに長崎市に訪問客を増加させるかという点に絞ることとした。
県庁所在地で観光地として有名な北陸・金沢市が人気急上昇しているのを知るにつけても、長崎市への集客のための処方箋が必要ではないかということを考えた。
処方箋は主に5つを考え、チームの3人でそれぞれ担当を決めて掘り下げようとした。しかし、実際には他の観光都市に行って、観光視察をしたり、東京にあるアンテナショップをまわったりはできずに、インターネットや、本、パンフレットなどの資料を基に考えることに留まった。
5つの処方箋は、「(官製ではない)長崎市のホームページの新設」、「長崎市の東京でのアンテナショップの開設」、「新たに(東京における)長崎市のパンフレットの作成」、「長崎市訪問のための新メニュー、新規イベントの開発」、「長崎市から食の提案」などである。いずれも実際に実施するとなれば人・金がかかるので、今回は提言ということでまとめることとしたい。
東京から見た魅力的な長崎とは何か?今年はNHKで長崎出身の福山雅治さん主演の「龍馬伝」が放送され、長崎市への注目度がアップし長崎市を知ってもらう、長崎市に来てもらうには最高のタイミングである。
(感想)勘違いで入塾
福田 裕子
私が在京長崎応援団塾に応募したのは勘違いからだった。
母校(高校)のホームページを見ていて、先輩後輩で長崎を応援するということなんだ。それは楽しそうだなと思った。事情が分ったのは後のことで、その時は後のまつりだった(後のまつりというのは正しくないかも知れない)。
グループに分かれ、長崎にまつわるテーマを決め、調査・検討しまとめ上げて、長崎にもどすという。
中学、高校の時のみ住んだ長崎。何も分ってないことが分った。そこで「長崎への質問」というテーマに参加したのだけれど、あまり協力できずに終わり、申し訳ない思いをしている。
塾生の方は長崎に並々ならぬ愛着と色々な実力を持っておられる方ばかりなので、ついていくのにしんどい気持ちになったことも少しはあるが、自分のできる範囲で参加させていただいた。
改めて長崎の歴史に思いを馳せると、江戸、明治期の日本での重要な役割を果たした地であるということ、昭和期の原爆被災地であるということだ。この先、日本でさらに世界でどのような意味のある街として進んでいくのか注目していたい。
最後に、人はひとつの共通点があれば大いにつながることが分かる。会の後の飲み会で、長崎の話で盛り上がること!
他の県や市はどんな応援網を広げているのだろうか、と気になってきた。
(感想)在京長崎応援団塾に参加して
三浦 剛
「長崎伝習所なるものが東京で行われるらしい」という噂を耳にし、「長崎出身者としては話を聞いておかねば」と説明会に参加した。集まったメンバーの共通項は「長崎が好き」という1点のみで世代・出身地・経歴・参加目的ともにばらばら。説明を聞いても何をやるのか今一つ良くわからなかったが、「何か面白そう」と参加させてもらうことにした。
東京という街は意外に広く、また参加者も多忙な人が多く集まること自体が大変だったが、月に1度くらいの頻度で集まる中でだんだん会の方向性とチームワークが生まれてきた。(私も初期は殆ど参加できず申し訳ありませんでした。)
私は「長崎を応援するWG」に参加したが、まずは仕事の繋がりや利害関係が全くない人達とのフリーディスカッションや共同で進める作業・活動がとても新鮮だった。また、長崎以外の出身で長崎に住んだ経験がある人の「長崎の好きなところ」、長崎の歴史研究をしておられる方の「歴史観」などで目からウロコの新発見があり、長年不思議に思っていた長崎の特徴の理由を発見できたりした。
郷里「長崎」が時代の変化に対応し、今後もその素晴らしさを失わず、維持して欲しいと願っているが、日本という国の形自体が大きく変わりつつある中で、長崎ファン(サポーター?)を増やしていくという事も長崎にとって必要なのかもしれないとも思う。今後も在京長崎応援団が継続し、長崎ファンが着実に増えていくことを期待したい。
末尾となりましたが、お世話いただいた長崎市東京事務所の皆さま、深野塾長様、その他参加者の皆さまに心より感謝申し上げます。
(感想)在京長崎応援団塾に参加して
八児 正紀
高校3年間だけ長崎で寮生活をしていたが、大学進学で上京してしまったため、そもそもが「よそもん」の私は、長崎を満喫したとは言い難く、その心残りがずっとあった。
そういうところに「じげもん」の同級生から塾への誘いがあり、勇気を出して応募した。
未曾有の大不況の中、この東京で「長崎を愛し、応援したい」という物好き(?)な塾生が集えたことは素晴らしいご縁だった。
入塾当初は、塾生それぞれの背景が様々なので、ある程度の統制がないと纏めていくのは難しいのではと心配した時期もあったが、制限を設けないことに徹底された深野塾長の方針は大正解だったと思う。塾長のおっしゃるように、それぞれが熱く自己主張する、和・華・蘭の「卓袱料理」が、この東京で、とりあえず、できた。味はワカランが・・・。
居酒屋を中心とした(笑)活動の中で色々な意見交換をすることで、塾生それぞれの長崎への想い、愛し方、感じ方、楽しみ方の違いを知ることができ、貴重な財産となった。
次年度以降どうなるかわからないが、東京で出来上がる「卓袱料理」を、作るほうも食べるほうも、お互いのこだわりを理解しながら、大勢の仲間で楽しめるといいなと思う。
現在私は、長崎への恩返しと継続的な係わりを求めて、長崎を応援するブログポータルサイト「のらんば長崎」の運営を行っている。
今年度は塾のポータルサイトを作成し、各グループの活動報告をブログで発信し、能動的に相互交流する試みを支援させて戴いた。
在京長崎応援団塾の活動によって、長崎を愛し応援するネットワークが、WEBを通じて全国・世界に拡がれば幸いである。
以上
皆様から寄せられた研究成果報告書のサマリーと感想の最新版を以下に掲載します。
皆様、これで間違えないかご確認下さい。
1.長崎への質問
宮崎 陽世
和華蘭町といわれていますが、長崎県内で育った人でも簡単には理解できないのが長崎の町。そんな町を東京から見ていると、尚一層不思議な町に思える。最初は長崎を知らない自分に気付くことから始まった。であれば、知っている方に聞いてみようということで、4名が、長崎への質問グループを形成した。
前半は4名での長崎の不思議についての議論とアンケート調査結果、さらに応援団塾のメンバーからいただいた情報を合わせて、長崎人の特性らしきものを抽出した。
後半は、その根底にあるものを探るために、長崎の歴史、特に鎖国の前後に焦点を当て、学習した。出てきた疑問を明らかにし、さらに長崎を実感するために、現地にも赴き、取材した。歴史上の文化や制度の中で、長崎人の価値観形成に最も影響を与えたと思われるものを特定し、さらに詳しく、学習した。
最後に今後の長崎に求められる行動特性と期待される人材像を明らかにした。
今回は既存のネット上や書籍などの情報にできるだけ頼らず、自分たちが行動し、実際に見聞きした情報と感じたことにこだわった。情報が不足しているところ、分析が不十分なところも多い。その分稚拙になっている所も散見される。
福田さんはFAXによるアンケートで、九州男児と長崎男児を違いを明らかにした。
川辺さんはアンケートと合わせて、長崎で体験したことをディスカッションで明確に主張し、長崎人の行動特性として明らかにした。
橋本さんはディスカッションをまとめ、文章を校正し、今後の長崎の可能性対して提言した。
2.外から見る長崎
東京と長崎の違いから見える「長崎らしさ」とは
田尾 正行
長崎の高校を卒業し、東京の大学に進学してから30数年。今ではなんの疑問もなく普通に生活しているが、上京したての頃は、長崎との違いに戸惑ったものだ。「何ね?このうどん、真っ黒やかね。こがんと食べられんばい。」いまだに食べない。(笑)
ある時、「かぶり」という習慣がネット上で話題となった。長崎では当たり前だが、こちらでは「持ち帰り」以外の「言葉」がない。「そんな食べ残しを持ち帰るなんて」というのが常識のようだ。しかし長崎には「かぶり」という言葉が存在し、宴会の後、残ったものは「かぶり」にするのが常識である。当然のことだが、習慣、文化、言葉等、東京と長崎では様々な事象が違う。「何故違うのか」その違いを考えることで、長崎に居ては気づかない、長崎らしさを見つけられないだろうかというのが、今回のテーマである。
江戸時代、唯一海外との窓口となっていた長崎、幕府直轄という特殊な地域で外国人と接していたということから、他の日本人とは違う何かがあったのではないだろうか。
身分の上下、席の上下に厳しかった江戸時代に、何故卓袱料理は円卓だったのか。お墓で宴会をし花火を鳴らす、東京人からすると「罰あたり」(笑)な習慣は何故なのか。
長崎では当たり前でも、他所から見れば不思議な事柄。その「長崎らしさ」には「共通性」があるのではないか。またそれが、長崎をアピールする材料となるのではないかと考えてみた。
3.小説から読む幕末の長崎像
齋藤 和彦
歌に映画にテレビドラマにと、長崎ほどメディアに紹介される観光都市は他に例がなく、遠い異国のエキゾチックな港町としてのイメージが伝えられてきた。中でも、文学においては、純文学から娯楽小説、随想まで、視覚にとらわれない無限の想像の世界を読者にあたえ続けている。近年の、さだまさしの作品や、長崎を舞台にしたなかにし礼の“長崎ぶらぶら節”、遠藤周作の“沈黙“、”女の一生“などによって、長崎への憧憬をもった多くの読者が、そのまま旅人となって長崎を訪れている。
今回のレポートをまとめるにあたり、最初に考えたのは、はたして純文学が史実に基づいたもので、娯楽小説が作者の想像によるフィクションばかりか、などという議論はともかく、今の時代にどれだけの影響力を、その作品が与えているかということであった。当初は様々な作品を比較対象とする方法をとろうと模索したが、単純に発行部数の多さから、文庫書き下ろしでベストセラー作家となっている、佐伯泰英の“交代寄合伊那衆異聞”をレポートの題材とすることにした。
物語のあらすじは、信州伊那にわずかな所領を与えられた直参旗本ながら、徳川幕府との密約を持つ座光寺家当主となった若き主人公、座光寺藤之助為清が、信州伊那から江戸そして長崎、上海へと、安政の大地震(1855 年)直後の幕末を舞台に、自らの人生と時代を切り開いていくというものだ。物語を読むうちに、さながら、主人公と共にその時代に旅をしているような錯覚に陥るほど引き込まれて行く。主人公と登場人物を通して語られる当時の長崎像を拾い出し、そんな中から現代に通じる長崎像、長崎人気質を感じていただければと思っている。
シリーズは現在第11 巻まで発刊され、現在更に継続中。長崎が主な舞台となるのは、第3 巻から第9巻あたり。講談社刊、佐伯泰英 著 文庫書下ろし “交代寄合伊那衆異聞“シリーズ。
4.長崎に単身赴任してみて~長崎雑感
川村 雅昭
2004年2月から2006年3月まで約2年間、銀行の転勤で長崎に単身赴任した。東京生まれ東京育ち、働き始めてからは、首都圏以外では大阪、仙台での勤務はあったが、九州は初めて。単身赴任も初めてだった。
子供たちは当時中学生2人と小学生1人。毎年大きくなって、ウサギ小屋のようなマンションが手狭に感じ始めた頃だったので、家族は自分の居場所が広くなると喜んだものだ。一方の自分も、頭取が聞いたら怒ると思うが、観光地での長期滞在型リゾート気分で赴任した。そして長崎での2年間は本当に楽しかった。
赴任早々の春休みに家族を呼んで、ハウステンボスに遊びに行き、「くんち」はカミサンと諏訪神社の桟敷で見物、2度目の正月は家族と長崎で迎えた。
こう書くと、本当に遊んでばかりで仕事をしてなかったと思われてしまうかもしれないが、仕事も遊びも楽しくやったと言うのが本心だ。もちろん仕事帰りには美味しい魚で、一杯(いっぱい)やったが。
そんな生活の中で、長崎の方には当たり前、あるいは意識していないかなと思われたことを少しだけ記してみたい。
5.「御鰭(おひれ)をどうぞ・・」
薫り立つ 長崎料亭文化
上野 史禮
10年前、長崎で初めての「料亭での宴」「御鰭をどうぞ」料亭の女将(おかっつあま)のこの言葉から、この「宴」が始まる。乾杯も挨拶もないままに、客である私たちは、戸惑いながらも椀のお吸いもの「御鰭」を静かに頂く。座敷の誰も語らず、粛々と、客の「椀」を啜る音だけが響く。何とも奇妙でありながら、長崎の歴史の薫りにあふれる「宴」の始まりである。
転勤してきた長崎で、初めての「料亭の宴」実に印象深いものだった。長崎の街になじんで行くうちに、丸山界隈を中心に、ここそこに「料亭」が脈々と生き、そこに「花街の文化」が息づいていることに気づく。この料亭と芸子衆が織りなす「長崎料亭文化」に接する折折、「うれしい異空間」の素晴らしさを、感じないではいられなかった。
外国文化の日本唯一の窓口として、異文化が花開き、それゆえもあって、裕福な街として繁栄してきた長崎。そういった歴史あったればこそ、この「長崎料亭文化」が生まれた。 より多くの人に、この素晴らしさを知ってほしい、体験して欲しい、長崎から、この「すばらしい文化」をたくさん発信して欲しい、との思いから、レポートに取り組んだ。
平成20年12月。久々に、東京から長崎に飛び、「料亭春海」で、芸子衆と一緒に「遊食」を楽しだ。久々の「料亭文化」に接した。ゆったりとした「長崎時間」が、夜の帳とともに進んでいった。「卓袱料理」「長崎ぶらぶら節」「浜節」「手あそび」・・・ あっという間の3時間余りが、過ぎていった。悠揚とした満足のまま、料亭の石畳を下った。
6.ふるさと納税で長崎を応援する!
船越 弘文
生まれて以来ずっと長崎市に住んでいると、「ふるさと」という言葉に反応することは稀かと思うが、高校を卒業して以降、長崎市を離れて生活をしている者からすると、長崎市は「ふるさと」以外の何物でもない。加えて、年齢もそこそこになってくると、この「ふるさと」という言葉は何とも言えない郷愁を感じさる。そんな親父達の心を揺さぶる制度が、「ふるさと納税」である。
私は、「在京応援団塾」に参加するにあたり、自慢ではないが、この研究テーマは格好のテーマだと考えた。「ふるさと納税で長崎を応援する!」なんて、最高の名称だと思いませんか?
思いは良し、さらに、保科さんという地方自治のプロも一緒に研究して頂けるという幸運を得てスタートを切ったが、実際に研究を始めると、色々な苦労に遭遇した。 その一部は原稿の中にも紹介しているが、やってみて発見することの連続であった。
そういう苦難の末に完成した原稿なので、出来栄えの評価は読者の皆様の判断にお任せしたい。しかし、この塾の面白さは研究の結果を得ることだけではない。活動を進めるなかで、保科さんを始めとする塾生の皆さんや、長崎市役所の方々、アンケート先自治体の関係の方々など、多くの方々のお世話になった。社会人になると、仕事以外でこうした人と人との新たで緊密な繋がりを持てる機会は殆どない。一年間の活動を振り返ってみて、こうした機会を持てたことこそ、この塾の醍醐味であったと実感している。この冊子を通じて、こうした醍醐味が少しでも皆さんと共有できれば幸いである。
7.長崎ブランドの現状と提言
石橋 佳之夫
長崎には、全国的にアピールできる商品やサービスがあるはずであるが、ブランドの活かし方が下手な地域である、といった指摘があったため、長崎ブランドの現状を把握し、その上で何か提言できればいいなと考えてスタートした。
スタートして直ぐにわかったことは、なるほど長崎には全国に誇れるような産品がありながら、県外の産地にOEMのような形で供給されている事実があることであった。
地域団体商標の登録件数も他の都道府県と比較すると少ない。
誇りを持って長崎ブランドを全国に広めてほしいといいたい。
われわれ長崎ブランド塾の活動は、当初インターネットを利用した、登録商標の調査、地域団体商標を出願している団体の活動に関する調査などが中心であった。
これに加えて、日常生活の場でもアンテナを張り、遭遇する情報の中に長崎ブランドにつながるものがあればそれを取り上げ、事業の実態、そのブランド保護に対する意識のレベル、商標登録の有無などの実態を把握し、その結果に基づき、長崎ブランドをより活性化するための提言をまとめた。
調査した結果と提言は、在京長崎応援団塾のブログに掲載した。
今後も継続して長崎ブランドに関する検討の機会があるとすれば、ブログを中心に多くの人たちを巻き込んだ議論、あるいは8人程度のメンバーによるブレイン・ストーミングで、効果的な提言をまとめるようにしては、と考えている。
8.人と組織の力をアップするには
吉居 浩二
長崎にゆかりがある関東在住者として、ビジネスであれスポーツの世界であれ、長崎の方達やチームが活躍するのを見聞きすることは、大いに勇気付けられる。
今度は私たちで何か長崎の方たちを応援出来ることがないかということで、表題をテーマとしてレポートをつくった。
内容は、三部構成とした。第一部は、人や組織の力を高める仕組みを俯瞰するため、高める要因を整理しつつ体系図としてまとめた。更に、その中で重要な要因に対して解説を加えた。
第二部は、テーマに合致すると判断した図書を紹介した。図書には、長崎県人倶楽部の機関誌も入れ、その中で紹介されていた春の選抜高校野球で長崎初の優勝に導いた清峰高校野球部の吉田監督の言葉も紹介した。
第三部は、現在東京在住だが、かって長崎にある企業等の組織でリーダーとしてご活躍された方の座談会を設定し、長崎の方たちの気質を踏まえ、力をアップするための提言をまとめた。
本テーマは永遠のテーマであり、簡単に語りつくせるものではないが、力をアップするために過去からのセオリーを知り、第三部にまとめたように、現状を照らしてみることで、新たな行動が見えてくると思う。
僭越なレポートになったが、テーマが長崎在住の方たちに役立ち、且つ関東との、情報交換の機会になれば幸いである。
最後に、関東の伝習塾で、本テーマで自由に活動させて頂いたことを、長崎を思うメンバー4名を代表して感謝したい。
9.映像を活かした長崎の魅力発信
関根 留理子
地形、風土そして歴史とどれをとっても、唯一無二の魅力ある街・長崎。昔から、そんな長崎を舞台にした映画やドラマがたくさん撮影されているが、それをあまり活かしきれていない。ここ数年では、映画やドラマを誘致して、地域の観光や産業へつなげようと活動する地域も多い中、長崎ではあまりこのような取り組みを見受けられない。どうやって活用していくべきなのか、検証してみた。
事実、長崎という街は、とても恵まれている。同じ人口45万ほどの他都市と比べても、知名度は飛びぬけて高い。そのため、撮影に来る映像制作者は後を絶たない。他都市がロケ誘致に力を入れる中で、黙っていてもロケが来るとてもありがたい地区だ。
しかし、撮影が多いが故、撮影される作品を観光に活かしていく準備ができず、映画の公開やドラマの放送を迎えてしまう。
昨今、長崎市ではNHKの大河ドラマ「龍馬伝」で盛り上がっているように、映像と観光をつなげるためには、大々的に取り組み、地域を上げて盛り上げることが必要で、作品がヒットしてから取り掛かるのでは遅い。しかし、そのためには予算や人の確保も必要であり、全ての作品に対応するのも難しい。
まずは出来ることからと考えた時、長崎には、全国が注目し、マネをしている素晴らしい観光ツールがあることに気がつく。いまやその言葉さえ、全国的に使われるようになった「さるく観光」。
長崎らしい、人のコミュニケーションで成り立つさるくの映像版が、まずは長崎市のフィルムツーリズムの一歩になるのではないだろうか。
10.オペラ“蝶々夫人”を長崎の観光の目玉にし、長崎の活性化を図る
山口 義人
長崎が舞台の世界的に有名なプッチーニのオペラ「蝶々夫人」の毎週上演を長崎観光の目玉とし、世界各地から観光客を呼び寄せようというプロジェクトである。
これには、専門のオペラ劇場を作ろう、というアイデアも入っている。
有力な実例として、能登半島の七尾市は、人口6万弱の小都市ながら、総工費27億円で650席の立派な「能登演劇堂」を作り、仲代達也主演のシェークスピアの「マクベス」を、まさに年50回、上演し、日本各地からバスで観客を集め、町起しの目玉としている。http://www.engekido.com/sisetsu.html
同様な、オペラハウスを長崎は持つ資格がある。
幸い、沢山の歴史、文化を背景に持った、美しい港町長崎は、世界遺産候補、長崎のキリスト教教会群もあり、東洋でのキリスト教巡礼地になれるし、これに、オペラ“蝶々夫人”の観劇という目玉が加われば、まさに長崎は東洋一の観光地となると思う。
現在イタリアで大活躍中の、岡村喬生氏の脚本を、長崎版 “蝶々夫人”の定番とし、出演者はボランティア的要素で長崎在住者を中心に、大学、中高の音楽教師、学生から募集、格安でオペラ蝶々夫人を上演する。年間50回開催の、上演費約1億7.500万円を、平均入場者700-800人、入場料4500円で集め、広告費収入と合わせ、収支合い償う事業とする。現在年50隻入港している、観光船船客中心に観客動員を図り、年間上演予定を組む。
11.坂本龍馬について
坂本 貞好
2010年のNHK大河ドラマは長崎にも深い縁がある三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」の視線を通して描かれた「龍馬伝」。主演は長崎出身の福山雅治さん。
坂本龍馬については、昭和43年(1968)にも司馬遼太郎原作の「竜馬がゆく」がNHK大河ドラマで放送されていますが、視聴率は低迷し歴代大河ドラマではビリから2番目の14.5%であった。
2008年に「龍馬伝」の放送が決定し、主演の龍馬役に福山さんが抜擢されたこともあり、長崎では観光客誘致の企画が目白押しで既に大きな盛り上がりを見せていますが、我々メンバー3名は、龍馬ファンということではなく、「龍馬伝」放送を機会に龍馬関連の場所を訪ねたり、情報を収集し龍馬についての知識を深めて、一年間「龍馬伝」を楽しもうということがテーマにした大きな動機である。
訪ねた場所や関連行事への参加レポート等を自由に気楽にブログへ掲載するなど「龍馬伝」を通して長崎への関心を持ってもらい、結果的に長崎への観光客の増加に繋がることを期待しつつ活動してきた。
メンバーは、勤務先及び住居が東京、相模原、1名は長崎と東京を行き来しているということで3名揃っての行動は困難なため、「在京長崎応援団塾」の全体会合やメールなどで情報を交換しながら活動してきた。
「龍馬伝」の長崎時代の放送は、7月頃からということなので、引き続き「龍馬」を追いかけ“「龍馬伝」と長崎を盛り上げよう!”に繋げていきたいと思っている。
12.東京にあった?長崎の兄弟!
深野 浩平
われわれ4人は、東京の中にある長崎の「ゆかり」を探し出してガイドすることを目的に活動を行った。まずは、東京都豊島区に「長崎」という地名があるので、九州の長崎との関連がありや?なしや?の調査から。
参考文献をあたるばかりでなく、東京の「長崎神社」の秋の大祭を見学したり、東京の長崎にある長崎出身の大将がやっている居酒屋に集ったり・・・。調査というより遊びである。その結果、残念ながら、東京の長崎と九州の長崎の関連を証拠付ける歴史的なDNAは発見できなかった。しかし一方で、長崎大水害の際の心温まるエピソードや、東西の長崎で十数年前から今もなお続いている「寄席」の交流など、同じ名前であるが故の繋がりは発見できた。
さらに視野を東京全体に広げると、長崎の「ゆかり」が其処此処に散らばっていることがわかった。都内の博物館に収容されている数多くの文化財。幕末に長崎に登場した偉人の足跡。キリシタン弾圧の舞台となった場所。原爆という悲しい歴史を2度と繰り返さないためのモニュメントなど。そんな東京にある長崎の「ゆかり」を集めて、写真と一筆書きで紹介もしてみた。なお、東京で評判のちゃんぽん屋とか、長崎の食材を使った料理屋など、他にも興味ある「ゆかり」はたくさんあるのだが、全てを紹介できなかったのは残念であった。東京にそれほど多くの「ゆかり」があるとは、さすが長崎!である。
長崎出身・東京在住の方が故郷を思い起こすのに、また、これから長崎に旅行する方、転居する方が事前の予習をするのに、この拙稿が少しでも役に立てれば幸甚である。
13.東京発!長崎市観光誘致を考える!
宮嶋 淳一
長崎市への観光客は、平成18年の570万人をピークに下降気味である。長崎市周辺には多くの観光資源がありながらも、実際には活用されてない、上手にPRできてはいないのではないか。また、他県の観光都市はどのような集客をしているのか。われわれは在京長崎応援塾らしく、関東周辺からいかに長崎市に訪問客を増加させるかという点に絞ることとした。
県庁所在地で観光地として有名な北陸・金沢市が人気急上昇しているのを知るにつけても、長崎市への集客のための処方箋が必要ではないかということを考えた。
処方箋は主に5つを考え、チームの3人でそれぞれ担当を決めて掘り下げようとした。しかし、実際には他の観光都市に行って、観光視察をしたり、東京にあるアンテナショップをまわったりはできずに、インターネットや、本、パンフレットなどの資料を基に考えることに留まった。
5つの処方箋は、「(官製ではない)長崎市のホームページの新設」、「長崎市の東京でのアンテナショップの開設」、「新たに(東京における)長崎市のパンフレットの作成」、「長崎市訪問のための新メニュー、新規イベントの開発」、「長崎市から食の提案」などである。いずれも実際に実施するとなれば人・金がかかるので、今回は提言ということでまとめることとしたい。
東京から見た魅力的な長崎とは何か?今年はNHKで長崎出身の福山雅治さん主演の「龍馬伝」が放送され、長崎市への注目度がアップし長崎市を知ってもらう、長崎市に来てもらうには最高のタイミングである。
(感想)勘違いで入塾
福田 裕子
私が在京長崎応援団塾に応募したのは勘違いからだった。
母校(高校)のホームページを見ていて、先輩後輩で長崎を応援するということなんだ。それは楽しそうだなと思った。事情が分ったのは後のことで、その時は後のまつりだった(後のまつりというのは正しくないかも知れない)。
グループに分かれ、長崎にまつわるテーマを決め、調査・検討しまとめ上げて、長崎にもどすという。
中学、高校の時のみ住んだ長崎。何も分ってないことが分った。そこで「長崎への質問」というテーマに参加したのだけれど、あまり協力できずに終わり、申し訳ない思いをしている。
塾生の方は長崎に並々ならぬ愛着と色々な実力を持っておられる方ばかりなので、ついていくのにしんどい気持ちになったことも少しはあるが、自分のできる範囲で参加させていただいた。
改めて長崎の歴史に思いを馳せると、江戸、明治期の日本での重要な役割を果たした地であるということ、昭和期の原爆被災地であるということだ。この先、日本でさらに世界でどのような意味のある街として進んでいくのか注目していたい。
最後に、人はひとつの共通点があれば大いにつながることが分かる。会の後の飲み会で、長崎の話で盛り上がること!
他の県や市はどんな応援網を広げているのだろうか、と気になってきた。
(感想)在京長崎応援団塾に参加して
三浦 剛
「長崎伝習所なるものが東京で行われるらしい」という噂を耳にし、「長崎出身者としては話を聞いておかねば」と説明会に参加した。集まったメンバーの共通項は「長崎が好き」という1点のみで世代・出身地・経歴・参加目的ともにばらばら。説明を聞いても何をやるのか今一つ良くわからなかったが、「何か面白そう」と参加させてもらうことにした。
東京という街は意外に広く、また参加者も多忙な人が多く集まること自体が大変だったが、月に1度くらいの頻度で集まる中でだんだん会の方向性とチームワークが生まれてきた。(私も初期は殆ど参加できず申し訳ありませんでした。)
私は「長崎を応援するWG」に参加したが、まずは仕事の繋がりや利害関係が全くない人達とのフリーディスカッションや共同で進める作業・活動がとても新鮮だった。また、長崎以外の出身で長崎に住んだ経験がある人の「長崎の好きなところ」、長崎の歴史研究をしておられる方の「歴史観」などで目からウロコの新発見があり、長年不思議に思っていた長崎の特徴の理由を発見できたりした。
郷里「長崎」が時代の変化に対応し、今後もその素晴らしさを失わず、維持して欲しいと願っているが、日本という国の形自体が大きく変わりつつある中で、長崎ファン(サポーター?)を増やしていくという事も長崎にとって必要なのかもしれないとも思う。今後も在京長崎応援団が継続し、長崎ファンが着実に増えていくことを期待したい。
末尾となりましたが、お世話いただいた長崎市東京事務所の皆さま、深野塾長様、その他参加者の皆さまに心より感謝申し上げます。
(感想)在京長崎応援団塾に参加して
八児 正紀
高校3年間だけ長崎で寮生活をしていたが、大学進学で上京してしまったため、そもそもが「よそもん」の私は、長崎を満喫したとは言い難く、その心残りがずっとあった。
そういうところに「じげもん」の同級生から塾への誘いがあり、勇気を出して応募した。
未曾有の大不況の中、この東京で「長崎を愛し、応援したい」という物好き(?)な塾生が集えたことは素晴らしいご縁だった。
入塾当初は、塾生それぞれの背景が様々なので、ある程度の統制がないと纏めていくのは難しいのではと心配した時期もあったが、制限を設けないことに徹底された深野塾長の方針は大正解だったと思う。塾長のおっしゃるように、それぞれが熱く自己主張する、和・華・蘭の「卓袱料理」が、この東京で、とりあえず、できた。味はワカランが・・・。
居酒屋を中心とした(笑)活動の中で色々な意見交換をすることで、塾生それぞれの長崎への想い、愛し方、感じ方、楽しみ方の違いを知ることができ、貴重な財産となった。
次年度以降どうなるかわからないが、東京で出来上がる「卓袱料理」を、作るほうも食べるほうも、お互いのこだわりを理解しながら、大勢の仲間で楽しめるといいなと思う。
現在私は、長崎への恩返しと継続的な係わりを求めて、長崎を応援するブログポータルサイト「のらんば長崎」の運営を行っている。
今年度は塾のポータルサイトを作成し、各グループの活動報告をブログで発信し、能動的に相互交流する試みを支援させて戴いた。
在京長崎応援団塾の活動によって、長崎を愛し応援するネットワークが、WEBを通じて全国・世界に拡がれば幸いである。
以上
Posted by 在京長崎応援団塾 at 08:53│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。