関東地区にいる長崎を愛している人が、それぞれの視点で、長崎の外部にある長崎ゆかりの様々な素材、長崎の外にいるからこそ見えてくる長崎の隠れた素材を発掘し、それを加工することにより、長崎の活性化につなげていきます。

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Posted by のらんば長崎運営事務局 at

2009年06月14日

2.長崎らしさの考察

田尾正行

今回は様々な事例から、「長崎流おもてなし、思いやり」を見つけてみたいと思います。

1.歴史のこと
2.食事のこと
3.習慣のこと
4.言葉のこと
5.その他


1.歴史から

1570年にポルトガル船受け入れ契約し、1571年に開港した後、しばらくは、
入港した船員や宣教師達は村内(当時長崎村)に住んだりしてたようです。
その数は約2000人。当時の村としてはかなりの移住者ではなかったでしょうか。
また、当然ポルトガル人はキリスト教徒であり、その生活習慣や文化も違っていたはずです。
、藩主大村純忠や領主長崎甚左衛門が改宗したキリスト教は村内の大多数に広まったようで、
その頃のキリスト教のキャッチフレーズが「愛」「博愛」「隣人への愛」だったようです。
その精神は、キリシタン弾圧時代以後も長崎人のDNAに生きてるのではないか?と考えられます。

また開港以後、長崎には学問、文化、貿易を求めて沢山の長崎外の人々が来る事になりるが、
そこには宿が無く、多分民宿や宿坊を利用してたようです。
そのお客様たちをもてなす長崎人は博愛の人々がほとんどとなれば、そこには既に「おもてなし」の
精神が育つ土壌があったと思われます。


2.食事から

●甘い料理

長崎は日本で唯一砂糖が手に入る場所でした。そこから長崎街道を通って江戸へ伝わるわけです。
所謂「シュガーロード」です。
長崎の伝統的な料理には多くの砂糖が使われています。
甘い料理を「長崎に近い」、甘くないことを「長崎から遠い」と言われます。
味の善し悪しは別にして、貴重な砂糖を使うことで、お客様を歓迎していると考えられます。

●卓袱料理、尾鰭(おひれ)

卓袱料理はご存じのように、オランダ、中国、日本人が一緒に食事が出来るよう、
様々なタイプの料理が並びます。
料理にも、食べる人にも上下のない、おもてなしの精神ではないでしょうか。
また、尾鰭には蓋が開け易いように、尾鰭を挟んだという説もありますが、
「魚を1匹丸ごと使いましたよ」を表すとの説もあります。
いずれにしても、これもお客様のことを考えたことではないでしょうか。

●トルコライス

言わずと知れた「大人のお子様ランチ」
ピラフ、スパゲティー、カツ+サラダ。このバラエティに富むメニューは、
長崎人以外に発想できないのではないか。現代の和華蘭料理だと思います。
誰もが好きそうなものを全く上下関係無しにお皿」に盛る。卓袱料理につながる、
長崎らしい文化だと思います。


●冠婚葬祭、かぶり

長崎の料理のおもてなし、それは量がとても多いことです。
特に冠婚葬祭の料理の量は、明らかに持ち帰りを計算して出しているとしか思えません。
残ったら持ちかえっていただく「かぶり」の文化は、一種の「おもてなし」の文化だと思います。

3.習慣について

●お墓

門があり、塀があり広い。おまけに座るところまであります。
お盆にはそこで花火をし、酒を飲む。
昔は芸者まで呼んで宴会をしていたらしい。
中国の清明祭の影響らしく、沖縄でもシーミーと言って同じような習慣があります。
他県でこの話をすると、「なんと罰あたりな」と言われるが、長崎ではそれは当りまえ。
死者を生きている人間と同じ感覚でとらえた、長崎らしい「思いやり」であると思う。

4.言葉について

行く、来る、よかよか
長崎弁には沢山の特徴的な言葉があるが、東京の人が最も戸惑う言葉として、
「行く、来る」「よかよか」の使い方があります。

●「行く、来る」

長崎人AとBが電話でA「今から来るけん」B「おーっ、わかった」
これで通じますが、これは東京人には全く通じない。
仮にBが東京人だとすると、
A「今から来るけん」B「?(なぜそんなことを俺に電話してくるんだろう)……誰が?」
A「おいがさ」「えっ?俺はおまえの家に誰が来るのかを聞いてるんだよ」
A「おいんがたにはだいも来ん。わいんがたにおいが来っと」B「?」

これは、長崎人が相手の立場になって話していることを物語っていると思われます。
これもある意味相手にたいする思いやりではないかと思います。


●「よかよか」

長崎人A「こいは、もろて行ってよかやろか」B「よかよか」
A「ほんとによかと?」B「よかよ」AがCに「おうちももろていかんね」
C「うちはよかよか」

これも東京人には全く理解できません。
良いと悪いがすべて「よかよか」だけで表現されています。長崎独特の会話だと思いますが、
これも一種の「忌み言葉」のように、相手に悪いイメージを持たせない言葉使いと考えられないでしょうか。

5.その他こと

●「電車での話」

長崎の電車の中でよく聞かれる会話
おばあさんが、ガイドブックを見ている女の子に「お姉ちゃんどこにいくとね?」
「○○へ行こうとおもっているんですが。」
おばあさん「ああ、そこやったら私も降りるところやけん、一緒に連れていってやっけん」

これはお節介とも言えるくらいの親切さを表していると思います。
こういう事柄が長崎の温かさを感じさせているのだと思います。


●シティーチャイム

かつて、今の「長崎大丸」がまだ「岡政」であったころ、夕方5時に鳴らす音楽
「シティーチャイム」がフォスター作曲の「主人は冷たい土の下に」だったそうです。
これについては情報が少ないのですが、ある人の記憶で鳴っていた確証だけはあります。
理由は私の推測の域を越えませんが、戦争(原爆)で亡くなった方への鎮魂の意味があったのではないでしょうか。



今回は様々の事例から「長崎流おもてなし、おもいやり」を裏付けできないかを
考察してみました。
まだまだ他にもあるかと思います。
ご意見、情報などありましたら、コメントをお願いいたします。
  


Posted by 在京長崎応援団塾 at 16:45Comments(0)長崎流おもてなしと思いやり

2009年06月09日

1.プロローグ~東京と長崎の違いあれこれ

先日掲示板にも提案させて頂きましたが、皆さんのテーマ毎にカテゴリーを作って
御意見や、情報をいただくような使い方にしてはどうかと思いましたので、
早速、使い方の提案として、試験的に記事を書かせて頂きます。
先日発表させて頂いたものを少し整理し、参考資料を合わせて載せてみます。
この記事にコメントで、ご意見、情報を頂ければ幸いです。
では.......



1.プロローグ~東京と長崎の違いあれこれ

季節ごとの習慣をみていくと様々な長崎独特の文化があります。

● 雑煮・・・具が非常に多くて豪華                          ※資料1,2
● 桃の節句の桃カステラ・・・中国で縁起が良いとされる桃を表す       ※資料3
● 端午の節句の鯉のぼりの揚げ方・・・風がなくとも見える揚げ方       ※資料4
● 原爆・・・世界で唯一核兵器を使われた。
● お墓、お盆、墓参り、精霊流し、盂蘭盆・・・お墓で花火、飲食が行われる ※資料5
● おくんち・・・言わずと知れた長崎の氏神様のお祭り
● オランダ冬至(クリスマス)・・・キリシタン禁止令のなかで行われた、偽装クリスマス等々


ほとんどがキリシタン、中国の文化に影響を受けている文化ではないでしょうか。
「異国情緒がある街」といわれる長崎。なぜ横浜、神戸と比べても外国文化が残っているのでしょうか。
墓、坂、馬鹿が多いといわれる長崎
「馬鹿」がつくほどのお人好しと言われる長崎人には、異文化を取り入れる寛容さと、
見知らぬ人々に対する「おもてなし、思いやり」の心があったのではないかと考えました

この「おもてなし、思いやり」を切り口として、長崎を見ることができないだろうか。
そして、現代の長崎に新しい「おもてなし、思いやり」を付加できないだろうか。
このことを、この1年間の塾で考えていきたいと思います


資料1・・・雑煮
みろくやのHPより抜粋
具は焼いた丸餅、唐人菜、 魚(ブリ、タイ、アラなど)、トリだんご(ツルやキジの肉)、紅白のカマボコ、エビカマボコ、干しナマコ、シイタケ、結びコンブ、サトイモ、タケノコ、クワイなど、 たいへん豪華な品数です。正式にはこの中から7品、9品、11品の具が入り、 うるう年ともなると13品も入ります。だし汁はカツオブシ、コンブ、シイタケの うま味が効いたすまし仕立て。金蒔絵(きんまきえ)の雑煮椀に盛り付けられます。この一杯の 長崎雑煮には中国やオランダとの貿易で潤っていた頃の長崎の贅沢さや、海の幸、 山の幸に恵まれた土地柄が映し出されています。
みろくやのHP  http://www.mirokuya.co.jp/mlmag/archive/vol18.html

何故この様に潤っていたかについては次のような記事があります

資料2・・・かまど(竈)銀
みろくやのHPより抜粋
江戸時代、長崎の町民らがボーナスをもらっていたという話です。当時の長崎には「かしょ(箇所)銀・かまど(竈)銀」といって、外国貿易での利益を庶民に配分する珍しい制度がありました。 配分された時期は7月と12月の年に2回。まさに現代のボーナスのようなものだったのです。
 なぜそのようなシステムが生まれたかというと、17世紀末に長崎の貿易が幕府直営になったことがきっかけでした。それ以前は長崎港では自由貿易が行われており、この時はルールがないので一部の者だけに利潤が傾いたり、 銀貨が流出し物価沸騰を招いたり等、さまざまな弊害が起こっていました。 かねてより幕府は長崎貿易の利益に目をつけていたので、それらの弊害を理由に長崎貿易を幕府直営にし、大切な財源のひとつにしたのでした。
幕府直営システムの大元締めとなったのが「長崎会所」です。
今でいう貿易会社とお役所の機能がひとつになったようなところで、長崎貿易の利潤は全てここに集まるようになっていました。 その利益から、まず 幕府への運上金(税金のようなもの)が吸い上げられ、さらに長崎会所の積立や地役人らの給与が差し引かれます。 そして残りの中の一部が「かしょ銀」として町内の地主さんたちへ。 「かまど銀」として同じく借家人たちへと配分されたのでした。
 「かしょ銀・かまど銀」が具体的にどれほど町民の懐を温めたかは詳しくはわかっていませんが、身分制度が厳しい封建社会の中で町民へ利益配分するとは、長崎以外の地域から見ると相当うらやましい話だったようです。長崎だけがなぜ?と思うでしょうが、それにはちゃんと理由がありました。長崎の町民らはオランダ船や中国船の出入港時に必要な船の提供や、輸入品や幕府への献上品の運搬、そして長崎奉行の交代時などにかかる人夫や馬の費用も前もって決められた町が全額支払うようになっていました。 さらに天領だった長崎の町民は「将軍様の民」でもあるので、お互いを傷つけるような喧嘩もろくにできませんでした。そういった長崎独特の閉息感は人々をたいへん窮屈にさせていたと推測できます。そんな中で貿易利益を配分するシステムの「かしょ銀・かまど銀」はみんなを納得させるいい制度だったようです。
みろくやのHP  http://www.mirokuya.co.jp/mlmag/archive/vol69.html

裕福であったために、心も豊かであったのかもしれません。


資料3・・・桃の節句の桃カステラ
松翁軒のHPより抜粋
古来、中国では不老長寿や厄よけの果実とされ、祝事の象徴として尊ばれてきた
桃の実。桃は日本でも神話や昔話にも登場し、縁起の良い果物として知られています。 中国と古くからの交流があり、今なお数々の文化が伝わる長崎には、子どもの健やかな成長を願い、桃の節句に桃の実を象った縁起菓子を贈る習慣があります。
しっとりと焼き上げた伝統のカステラ生地を彩る、桃の実の鮮やかな砂糖細工。砂糖と水飴を丹念に練り上げて作った「すり蜜」をたっぷりと使い、ひとつひとつ手作業で作り上げたのが、長崎ならではの縁起菓子「桃カステラ」です。
松翁軒のHP  http://www.shooken.com/syohin/momo.htm

貴重な砂糖を沢山使ったカステラにさらに砂糖細工という贅沢なお菓子です。
お祝いへの気遣いが感じられる長崎らしいお菓子と言えないでしょうか。


資料4・・・端午の節句の鯉のぼりの揚げ方

通常は旗竿にこいのぼりを揚げますが、長崎の鯉のぼりの揚げ方は独特です。
旗竿に斜めに笹をかけて、その笹に鯉のぼりを取り付けます。
長崎エースグループのHP  http://ace-group.or.jp/koinobori/koinobori.html

「唐船」の旗の揚げ方と同じで、やはり中国文化の影響かと思われます。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/hanga/jinbutu12.html
この方が風が無くてもよく広がって見やすく、風があるとなびくという合理的な揚げ方と言えます。
「せっかく揚げるならよく見えるように」との思いが感じられます。
因みに、坂本竜馬の「亀山社中」の旗もこの様に揚げていたそうです。

他県での揚げ方
秀光人形工房のHP  http://www.hinakoubou.jp/maycontents/agekata.html


資料5・・・お墓、お盆、墓参り、精霊流し、盂蘭盆

長崎のお墓の他地域との大きな違いは
1.広い
2.門があり、塀がある。
3.文字が金色
4.座るところがある。
5.土神が祭ってある。
6.提灯を立てる穴がある。

習慣の違いとしては、
1.お墓で花火をする。
2.昔は宴会もあった。

ナガサキWebマガジンHP
http://www.at-nagasaki.jp/nagazine/hakken0308/index1.html
花火屋さん「立岩商店」HP
http://www.hanabistore.com/haka-hana.htm

お墓で花火や宴会の習慣は、死者を擬人化せず、生きた人間として扱う思いがあったのではないでしょうか。

次回は「長崎流おもてなし、おもいやり」の考察を記事にします。
  


Posted by 在京長崎応援団塾 at 20:03Comments(0)長崎流おもてなしと思いやり