関東地区にいる長崎を愛している人が、それぞれの視点で、長崎の外部にある長崎ゆかりの様々な素材、長崎の外にいるからこそ見えてくる長崎の隠れた素材を発掘し、それを加工することにより、長崎の活性化につなげていきます。

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Posted by のらんば長崎運営事務局 at

2010年01月29日

冊子の「はじめに」

皆さん、こんにちは。
ふかのこうへいです。
在京長崎応援団塾で作成する冊子は、皆さんが所属している各グループのレポート集になりますが、最初のところの「はじめに」の草案を作成してみましたので、下記に添付いたします。
ご一読頂き、何かあれば、このブログにコメントして下さい。
なお、「はじめに」のあとに総長(田上さん)から一言をいただけないかと、現在、市と調整中です。もしそれが実現したら、総長からのコメントがあって、その後に、目次・各レポートの順になる予定です。
宜しくお願いいたします。
                     記

在京長崎応援団(草案)
~ 東京在住長崎フリークの長崎への応援歌 ~
                                                                                 
(はじめに・・・塾長からのご挨拶)
 長崎市東京事務所の方から、長崎伝習所塾を東京でもやってみたい、とのお話を頂いたのは昨年初だった。東京のような広い町で定期的に人を集めて、しかもまとまった成果を出すような活動はできるのだろうか。迷った時期もあった。ただ、やってみなければ何も始まらない!との思いで、手を挙げた。
 さて、テーマは何にしようか・・・?塾の活動に参加してくれそうな長崎時代の知人に意見を聞いた。東京で塾を開催するなら、長崎にいてはできない塾活動が良い。長崎の外にいるからこそ見えてくる長崎の隠れた魅力、長崎から離れたからこそ感じる長崎への思い、長崎の外に点在している長崎にゆかりの品々、そういった素材を自由に加工して、レポートの形で長崎に情報発信してはどうか、ということになった。
それから一年余り。塾の活動は、船頭たる塾長の不手際からダッチロールを繰り返しながらも、ゴールにたどり着いた。その原動力は、何といっても在京長崎応援団という塾名そのままの、「長崎のために」と集まった塾生の皆さんの熱い思いだ。むしろ、塾生に背中を押されて、ゴールに辿りついた感が強い。
また、東京での長崎伝習所塾開催という初めての試みであったが故に、関係者の皆さんに様々な我侭をきいていただき、また、成果についても水準を求めず、まずは完走すればよい、との気楽な気持ちで取り組ませていただいたので、今があると感謝している。

実際に塾を立ち上げるにあたり、塾の目的を大きく2つに絞った。一つは、上述のとおり、東京から長崎に向けて、レポートの形で長崎を応援し、恩返しすること、そしてもう一つは、東京近辺に住む長崎フリークのネットワークを形あるものにすることだ。
一つ目の課題については、長崎市内で活動している塾のように、レポートのテーマを一つに絞って全員で取り組む、という考え方もあった。しかし、ここは東京だ。自宅も離れているし、全員が定期的に一同に会することを求めるのは難しい。であれば、一番成果をまとめやすいやり方を考える必要がある。場合によっては一人でも活動できるように、各自が思い思いのテーマを選択しそれをレポート等の形で纏め上げられれば良いのではないか。ということで、各自が興味あるテーマを選択し、それをレポートのような形に取りまとめ、成果物はそのレポート集とすることとした。  
もう一つの課題は、ヒトの基盤作りだ。とはいっても、既にこの塾に手を挙げてきた時点で、「長崎に対する思い」というバーをクリアしている塾生ばかりなので、そうした個々の思いを有機的に連携させられるような、しかも長続きするようなインフラを整備しようと目指した。

東京では、一箇所に集合するだけでも、集合するための移動時間・コストがかかる、勤務後となると会議開始時刻が遅くなる、等の問題を避けられない。現に、この塾の定期会合は一ヶ月に1回開催されておらず、また、会議室の都合で1回の開催時間が1時間強に制限されていた。このため、日常の情報伝達・意見交換はインターネットやメールの活用を基本とした。その一方で、定期会合の限られた時間は、個々の研究についての意見交換よりも、特に重要な作業スケジュールや段取りの説明など、ロジスティックな内容が中心となった。ただし、そうした内容だけだと定期会合は乾燥したものになる。このため、定期会合の後には、必ず有志で居酒屋に繰り出し、ここぞとばかり、潤いのある話をした。
最初は、なかなかレポートのテーマが集約できない時期が続いた。当然だ。ここに集まった面々は、長崎に対しそれぞれの思いを持ったひとかどの人物ばかりだ。隣の塾生とは多少、興味や主張が異なる。そこが妥協できないのだ。もしかしたら、塾生の数だけレポートが出来上がるのか?とも思った。それならそれでいい!とも割切った。しかし、何度か会合を重ね、それぞれの思いを相互に理解するようになると、おのずとテーマが集約されていった。集約の過程で、テーマは一段と深み増したり、ソフィストケートされたりしていった。
こうして最終的に複数のテーマが固まった。研究活動は各テーマごとの担当者が自由に価格立案・遂行した。塾からは、期限と分量を伝えるだけである。各テーマの担当者は、ネットを通じて他のテーマの担当者に参加を呼びかけたりもした。逆に、担当外のテーマに関して意見を伝える塾生も出てきた。無秩序な運営を善意と好意が助け、塾活動は前進していった。
また、定期会合のうち一度は、壱岐の老舗旅館で修行をしている塾生のプロデュースで、とある店を借り切って壱岐料理のパーティを開催した。壱岐から旅館の女将も参加し、その時は参加者が膨れ上がった。この塾の塾生は、とりわけ美味しいものに目がない。

塾生の熱い思いを形にしたレポート集は、とりあえずここに完成した。素材が歪まないように、塾として塾生の活動や主張をコントロールすることは避けたため、レポート集は、ご覧になれば一目瞭然だが、荒削りな料理を一緒に皿に盛り付けたようなものである。個々の料理全体に通じるコンセプトのようなものはなく、共通点は「オレは、私は、長崎のために何かしたかった」という叫びだけだ。結局、塾生たちで選んだテーマは14に上った。ふるさと納税やブランド力、人材育成など、比較的堅めのテーマから、観光、映像、そして蝶々夫人や今流行の坂本龍馬、自らの長崎単身生活を綴った柔らかいテーマまで種々雑多だ。考えてみれば、長崎の卓袱料理も、その時々の贅を無秩序に一皿に盛り合わせたものである。この塾の成果に似ている。言わば「和」「華」「蘭」のレポート集だ。そして、料理人たる塾生たちは胸を張る。この熱い思いで作り上げた料理を、熱いうちに召し上がれ!「御鰭をどうぞ!」と。

一方、東京での長崎フリークネットワークの構築は、オンラインとオフラインの二本立てとした。前述の通りメールで様々な情報交換もしたし、ある塾生の好意により、在京長崎応援団塾のサイトも立ち上げた。サイトの活用実績は未だ十分とはいえないかもしれないが、単なる事務連絡にとどまらず、長崎への帰省時の話題を提供したり、分科活動の簡単なレポートを掲載したり、徐々に稼働率が高まっている。このサイトが、東京近郊在住の長崎フリークの「溜まり場」に成長していってくれたら素晴らしい。
face to faceのオフラインの活動は、定期会合の後の居酒屋ツアーが代表的だ。しかし、長崎まで行って料亭で検番さんと楽しいひと時を過ごしたり、長崎出身の大将がいる居酒屋に集まったり、岩崎邸を見学したり、様々な分科会が派生的に発生した。まさに活きている、そして繁殖している塾活動だな、と感じた次第だ。この塾の塾生は、どうやらオンラインの繋がりより、オフラインの接触を嗜好するようだ。

以下には、こうした経緯で作成された、東京在住長崎フリークによる在京長崎応援団塾の成果を掲載する。いずれも塾生の個性が凝縮された「珠玉の迷作」ばかりだ。是非、ご一読頂き、皆様の長崎観とぶつけていただきたい。なお、以下に掲載されている文章の記載や意見・主張の責は全て作成者たる塾生に帰すものであり、伝習所塾を取りまとめている長崎市とは無関係である点を申し添えておく。
とにもかくにも、在京長崎応援団塾の1年が終わった。ただ、仮に塾が終焉したとしても、塾生にとっては、このつながりがスタートしたことに他ならない。来年の今頃も塾生の誰かが、塾生の誰かを誘って、どこかの居酒屋で長崎を酒の肴に集っているに違いない。
  


Posted by 在京長崎応援団塾 at 10:50Comments(0)